名古屋高等裁判所金沢支部 昭和35年(う)249号 判決 1960年11月04日
判決
弁護士(元衆議院議員)収賄
松 岡 松 平
林建設株式会社々長贈賄、業務上横領
林 唯 義
農業業務上横領
佐 藤 利 次
右の者等に対する各頭書被告事件につき昭和三十四年八月二十五日富山地方裁判所の宣告した有罪の判決に対し各被告人より夫々適法な控訴の申立をなしたので、当裁判所は検察官検事山崎金之介関与取調の上、次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
被告人佐藤利次を判示業務上横領の罪(原判示二(一))につき懲役八月に処する。
但し此の裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用中証人平井健造同坂野健太郎同平口久吉同島清義に支給した分は被告人佐藤利次の負担とする。
被告人松岡松平、同林唯義の両名は、いずれも無罪。
昭和三十二年六月十五日附起訴状公訴事実第二の業務上横領の点(原判示第二の(二))につき被告人佐藤利次は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、被告人松岡松平の弁護人小野清一郎、同竹内誠連名提出にかかる昭和三十五年一月二十八日附控訴趣意書、同年四月十九日附控訴趣意補充書、同弁護人田中政義提出にかかる同年一月二十八日附控訴趣意書、同弁護人大庭登提出にかかる右同日附控訴趣意書(控訴趣意書その(二)を含む)及び同年二月二十三日附控訴趣意補充書、同弁護人平松勇提出にかかる同年一月二十八日附控訴趣意書、被告人松岡松平提出にかかる右同日附上申書、同年二月十五日附訂正申立書、被告人林唯義の弁護人須藤静一提出にかゝる同年一月二十八日附控訴趣意書及び同年二月十一日附同訂正書、被告人林唯義同佐藤利次両名の弁護人高井千寿提出にかゝる同年一月二十日附控訴趣意書二通(但し被告人林唯義に対する贈賄の罪名に関する分一通及び右被告人両名に対する業務上横領の罪名に関する分一通)に各記載のとおりであるから、これらを引用する。
原判示第一(一)(被告人林唯義にかゝる贈賄)同(二)(被告人松岡松平にかゝる収賄)に対する事実誤認の論旨について。
原判決が其の理由の冒頭において被告人等の経歴及び職務権限を説示し更らに富山県婦負郡細入村片掛部落内に設置せられた北陸電力株式会社(以下北電と略称)神通川第一発電所ダム湛水により発生した右部落内のダム沿岸地の一部崩壊に端を発し、右部落民等により結成された片掛部落沿岸保全期成同盟会(会長被告人林唯義、副会長佐藤利次)が右ダムの護岸問題につき被告人松岡松平等の尽力により右北電と交渉の結果、昭和三十一年十一月二十日東京都港区赤坂榎坂町五番地赤坂ビル内被告人松岡の事務所において北電と協定成立し北電より右片掛部落の産業開発協力費として金千五百万円、右部落の闘争費の実費相当額として金五百万円の二ロの小切手が支払われて解決するに至つた経緯を説示し、次いで第一(一)として「被告人林は、佐藤利次等と本件護岸問題が解決に近づいた昭和三十一年十月頃から被告人松岡をはじめ本件護岸問題解決に尽力した人達に対する謝礼について相談していたが昭和三十一年十一月二十日午前十時頃前記協定調印の際千五百万円と五百万円の小切手二通を受領するや、被告人松岡が、かねて田中彰治から自己取引先である住友銀行に預金してくれと依頼されていたので、被告人林は同松岡と共に東京都世田谷区にある住友銀行成城支店に赴き千五百万円の小切手分を被告人林名義で期間一年の定期預金とし、五百万円の小切手分は、五十万円を現金で受領し四百五十万円は住友銀行富山支店宛、被告人林唯義名義の預金口座に振込み送金した、此の際被告人林は謝礼金捻出のため右成城支店から右千五百万円の定期預金を担保として五百万円の借入れを企て、借入名義を不動産売却関係費用及び運転資金とし、現金の交付を求め、右支店は借入目的が買上げ土地代金の支払の充当であると聞き、貸出すことになつたが、右支店の都合で利息を差引いた四百九十二万三千五百円のうち四百万円は右支店発行の小切手、残額は現金で受領した。其の際右支店に紹介者として来た前記田中彰治において右四百万円の小切手の現金化を引受けたので被告人林は右支店を退去するや、其の足で東京都千代田区平河町にある右田中彰治の事務所に赴き同事務所で長井ヒデから右小切手と引換えに現金四百万を受領し、同日前記赤坂ビル内の松岡事務所に戻り、同所において被告人松岡に対し前記護岸問題解決への同人の冒頭記載の衆議院決算委員として職務上及び地元選出代議士としての尽力に対する一括謝礼として現金四百九十二万三千五百円を供与して贈賄し」なる旨判示し、理由第一の(二)において「被告人松岡は、前記日時場所において被告人林から前記の趣旨をもつて供与されるものであることを知りながら、前記四百九十二万三千五百円を受領し、もつて其の職務に関し、賄賂を収受したものである」旨判示していることは所論のとおりである。
所論は多岐に亙るが、基本的には「被告人林は被告人松岡に対し現金四百九十二万三千五百円を供与したことはなく、又被告人松岡も被告人林より右金員を受領した事実はなく原判決は事実誤認である」旨主張する。而して右の論旨は本件贈賄の成否を決する重要な争点であるから、此の点について考察を加えることゝすを。
原判決挙示の証拠資料中原判示贈収賄の認定に適合するが如き内容をもつ最も顕著な直接証拠は被告人林の検察官に対する原判示各供述調書である。右調書は後記のとおり同被告人の勾留中における調書であり、昭和三十二年六月十三日附(三通)同月二十五日附(二通)同月二十六日附、同月二十八日附、同月二十九日附(五通)同年七月二日附、同月五日附(二通)同月八日附、合計十六通である。(以下検察官に対する供述調書を検察官調書と略称する。)原判決は其の補足的説明の項において諸般の情況証拠に基き間接事実を認定し、之と被告人林の右検察官調書と相俟つて本件贈収賄を認定していること原判文に徴し明らかである。従つて先づ被告人林の右検察官調書が果して矛盾撞着のない客観的な合理性と信憑性ないし真実性を具備するか否かを、当審における証拠調の結果をも参酌して次に吟味する。
第一、被告人林唯義検察官調書の信憑性について。
一、右検察官調書における供述内容の変転性
被告人林が業務上横領被疑事件で昭和三十二年五月二十五日逮捕せられ、同年六月十五日同被告事件として原審に起訴となり、同年七月八日保釈出所したこと及び原審において取調べた被告人林の検察官調書は同年六月十三日より同年十一月八日に亙る合計二十七通であり、其の供述記載の内容は之を大別すれば、公訴事実(贈賄)を肯認する趣旨の同被告人の勾留中の検察官調書と、之を否認する趣旨の同被告人保釈出所後の検察官調書であることは記録上認められ、原判決は同被告人の右勾留中の検察官調書を引用していること右に述べたとおりである。併し乍ら被告人林の検察官調書は其勾留中のものと雖も必ずしも其の供述内容が前後一貫して不変というわけでなく、其の重要なる点において二転三転して捕捉し難い点が多い。其の二、三の例を次に挙げてみよう。
(イ) 先づ被告人松岡に対する謝礼の相談について(原判示第一(一)の冒頭の点)
昭和三十二年六月十三日附検察官調書第二項(記録二五〇一丁以下)によれば「協定書に調印する一週間余も前(昭和三十一年十一月十三日頃)私や佐藤が上京して東京都品川区五反田の松岡先生のお宅で松岡先生、金谷、私、佐藤の四人が話合つた時、北電との交渉も解決が間近くなつて来たが、此の交渉が解決するについては上林先生や田中彰治先生達にも決算委員会の終了後も尚北電と交渉して貰つて居るので上林先生や田中先生にも当然其のお骨折りに対してお礼をせねばならんという事に話がまとまり北電との交渉が解決して北電から金を貰つたら其の中五百万円は松岡先生、上林与市郎先生、田中彰治先生の三人に対するお礼として松岡先生に差上げ、三人の先生達がどの様に分けられるかという事は松岡先生にお任せすると云う事に話がまとまつた」旨の供述記載が存するところ、同年同月二十九日附検察官調書第一項(記録二五七二丁以下)によれば、昭和三十一年十一月十三日頃被告人林同佐藤及び金谷の三名が小松屋別館で被告人松岡への謝礼は五百万円位が適当であると協議し、翌十四日右三名が五反田の被告人松岡宅を訪問し、先生への謝礼はどうするかと尋ねたら被告人松岡からそんなお礼はお前達はせんでいゝと断われた旨の供述記載が存し、前記被告人松岡宅における同被告人を交えての謝礼打合せは否定せられていることが認められる。
(ロ) 供与した謝礼金は小切手か現金か及び其の交付した相手方について。
昭和三十二年六月十三日附検察官調書第一項(記録二五〇〇丁以下)中「住友銀行成城支店を出て赤坂ビルの松岡事務所に帰り二階会議室で今借り入れてきた四百万円の小切手と現金九十一万円(此の金額も後に変更されている)は風呂敷包のまゝ被告人松岡に渡した。被告人松岡は下坂順吾に之を金庫に入れておけと云つて渡された」旨の供述記載が存するに拘わらず、同年同月二十六日附検察官調書では田中彰治の国際家畜研究所に四百万円の小切手を預け、同研究所から松岡事務所へ現金四百万が届けられたとの供述に変り同年同月二十九日附(第二回)検察官調書では最初の供述に戻つて小切手四百万円と現金九十一万円とを被告人松岡に渡したとなつており、右同日附(第四回)検察官調書では、又右小切手は国際家畜研究所に預けたとの供述になり同年七月二日附検察官調書では四百万円の小切手と現金九十二万円余とは被告人松岡に預けたとの供述に変り、同年同月八日附検察官調書では現金四百九十二万円余りの入つた風呂敷包みを下坂順吾に預けたとの供述記載に変り贈賄の意思を否定していることが認められる。
(ハ) 赤坂の料亭富司林における三個の新聞紙包みについて。
昭和三十二年六月十三日附検察官調書では被告人林は昭和三十一年十一月二十日(前記北電との協定成立の日)の夜赤坂の料亭富司林において被告人松岡より新聞紙包みの札束らしきものを上林与市郎、田中彰治の両人に一包みづつ渡されたのを自分は見ていた旨の供述記載が存するに拘わらず、其の後の昭和三十二年六月二十九日附(第二回)検察官調書では其の点極めて曖昧な供述記載になつているのであるが、被告人林が真に目撃していた事実ならば僅々十数日後の取調において供述内容が曖昧となるのは経験則上不合理であるとの疑を生ずる余地がある。
(ニ) 謝礼の意志について。
昭和三十二年六月十三日附(第三回)検察官調書では前記のとおり被告人松岡に小切手及び現金を謝礼として渡した趣旨の供述記載が存するに拘わらず同年七月八日附検察官調書では松岡先生にお礼をしたいという私の気持は先生にも通じていたので、その預けた四百九十二万円(現金)を先生がお礼として取られても私としては異存はなかつたのであるが、私としては、自分の方からはつきり先生にお礼を取つて下さいというまでは、先生の方では取らないものと思つていた」旨印ち確定的に謝礼の意思で渡したものではない趣旨の供述記載に変り更らに被告人林の保釈出所後の同年同月二十四日附検察官調書では本件四百九十二万余円を下坂順吾に預け志村化工と日鉄汽船各一万株づつを買つてくれと頼んだ旨供述した被告人松岡に対する謝礼金の交付を否定し、同年十月十三日検察官調書では「松岡先生に対し謝礼をしなければならぬという気持はあつたけれども、まだ鉄道誘致の問題があり、之についても先生の尽力をお願いしていたので、謝礼とか手数料は未解決である」旨供述記載が認められる。
(ホ) 勾留中の捜査官に対する供述に関し被告人林の原審及び当審における供述について。
原審第十二回公判調書中被告人林の「私が(大沢野警察署の)署長に対し感謝して涙を流したことについて申し上げたい。(被告人林の業務上横領被疑事件で勾留中)署長が私の独房に入つて来て『松岡が五百万円取つて仕舞つたことは調べ上げてあつて、松岡は横領になる、お礼をしようという気持があつたがやろ。君の方でお礼をやつたと云えば良いではないか。殊に松岡は弁護士であるから何でもないことではないか。大恩を受けた松岡が助かるではないか。君は現に株を買つているから横領になる。その金を松岡にやつたと云えば横領にならぬ。君のために云うのだ。取調官にそのように云いなさい』と云われたので、それ程調査してあるのなら私が下坂に株を買つて貰うため五百万円預けて来たのを松岡先生が取つて使つておられるとは思わなかつたが、署長は松岡が使つていると云うので、もしかすると松岡先生がその金を取つて使つているか、なにかに流用されて貯金に入れて居られるのでないかと錯覚を起し、先生にやつたとさえ云えば私が株を買つて自分の名義にしているのが横領にならぬし松岡先生も横領にならぬ、どつちも助かると一遍に有難くなり涙が出た」旨の供述記載が存し、同被告人の「検察庁へ来ても警察で一旦述べた事を訂正するわけにもいかんので警察で述べたとおり供述した」旨供述記載が認められ当審においても略同趣旨の供述をしていることが認められ(記録一九六三丁以下)右供述記載と原審第十一回公判調書中証人城田幸里の供述部分(記録一八六九丁以下)同第十二回公判調書中証人元吉甚一の供述部分(記録一九二三丁以下)を綜合すれば当時大沢野警察署の署長たる元吉甚一は当時同署の留置場に勾留中の被疑者林唯義の独房に深夜入り同被疑者に対し問答ないし説得をなした結果、従来被疑事実を否認せる右被疑者をして被疑事実に概ね照応する供述をなさしめるに至つた事実が認められるのであるが、苟くも警察署長が深夜自ら被疑者の独房において被疑者に対し被疑事実に関し問答ないし説得をなすが如きは被疑者取調の通常の取扱に反する全く異例の事に属すること。
以上の諸点を次に説示するところと綜合すれば被告人林の原判示検察官調書には全幅の信頼を措き難い。
二、被告人林の検察官調書における供述記載と他の証拠との矛盾性。
そこで被告人林の右調書の内容と他の証拠との矛盾を対照する。
(イ) 謝礼金相談の点。
証人金谷一雄の当審における昭和三十五年六月十六日附証拠調期日調書中「七五、問、北電との話ができた日の前日の十九日の晩に、小松屋の別館で林、佐藤、証人の三人で護岸問題の解決について上林、田中、松岡の三名に対し五百万円の謝礼をしようじやないかというような話をしたことがあるか。答、御座いません。(中略)一二七問、十一月二十日前に、それ以外の場所で三人又は松岡をまじえて四人で、そういうような話し合いをした記憶があるか。答、ありません。一二八問、林や佐藤が十一月二十日前に証人に対し『松岡に対して謝礼をしなければならない』というようなことを云つたのを証人は聞いたことはあるか。答、それはありませんがこういう御手数をかけてお礼というものはできぬが、また選挙にでもなれば、そのかわり吾々は一肌も二肌もぬいで大いに先生のために活躍したいということだけは云つておりました」なる旨の供述記載が認められ、又同人の原審第五回公判調書中の供述記載(記録九六三丁裏)証人佐藤利次の原審第八回公判調書中の供述記載(記録一四二八丁以下)同第十回公判調書中の供述記載(記録一六〇二丁以下)同証人の当審における第二回公判調書中の供述記載によれば金谷一雄及び佐藤利次はいずれも被告人林の前記検察官調書の供述記載に反し被告人松岡に対する謝礼金の相談をなしたことは全くない旨供述していることが認められ、又被告人林は前記保釈出所以後の検察官調書において、及び原審及び当審の各公判を通じて、被告人松岡は本件の捜査当初より原審並びに当審の各公判を通じ一貫して右謝礼金の相談並びに其の授受を否認するところである。尤も被告人佐藤利次の昭和三十二年六月二十日附検察官調書第五項(記録一〇五七丁以下)によれば前記北電との協定成立の前日たる昭和三十一年十一月十九日被告人林同佐藤及び金谷の三名が上京し小松屋別館に泊つた際被告人松岡に対しては金二百万円、上林与市郎、田中彰治には各金百五十万円合計五百万円を謝礼として差し上げる相談をした旨の供述記載が存するところであるけれども、当審における第二回公判調書中証人佐藤利次の供述部分によれば、其の当時被告人林と金谷一雄とは金員の保管につき対立紛争の状態であつた情況にあつて右供述記載の如き謝礼金の相談はなかつた旨供述していることが認められる(原審における同証人の供述内容も同趣旨である)。
(ロ) 住友銀行成城支店における被告人林同松岡間の借入金打合せの点
被告人林の調書(六月二十五日附)においては、昭和三十一年十一月二十日被告人林、同松岡の両名が住友銀行成城支店へ赴き預金を担保として借入をなす際の状況として被告人林は「支店長が席を一寸立つた時私は松岡先生に対し『先生方に謝礼をしたいのですが幾ら位借りたらよいでしよう』という事を言つたら先生は『五百万円位借りておくか』と云われたので五百万円を借りることにした」旨の供述記載(記録二五三五丁)が存するのであるが、当審証人田中彰治の供述記載、原審証人長井ヒデ尋問調書(記録五四六丁)、田中彰治作成の上申書(記録一五二六丁)等によれば被告人林は右五百万円の借入当時既に其の用途を株式買入資金と言明していたことが認められる。
(ハ) 料亭富司林における三個の新聞包みの点
被告人林の調書(六月十三日附、同月二十九日附)によると北電との協定の成立した昭和三十一年十一月二十日夜の赤坂料亭富司林における会合の模様が詳細に記述されており、これによれば被告人株が右料亭に赴いた際被告人松岡の坐つていた後の床の間に金を包んだらしい新聞紙包みが三個重ねてあつた、先づ松岡が席を立つたが其の際紙包みは一個なくなつていて、直ぐに田中彰治が女中に呼ばれて席を外した、次いで同様に上林与市郎が席を立つた、そして宴会が終つた時には右の新聞紙包みは全部なくなつておつたとの記載が存し、恰かも右三個の新聞紙包みは何れも現金が包んであつて之を被告人松岡の手を経て同所で同被告人と田中、上林の三名で分けられたかの如くに記載されているけれども、右供述記載の事実は当審証人田中彰治の供述記載、原審十五回公判調書中被告人松岡松平の供述部分(記録三四五三丁以下)に照して措信するに足らぬばかりでなく、仮りに被告人松岡が赤坂ビル内の自己の事務所において金五百万円の謝礼を受領し金庫内に収納したものならば、其のうち自己の取得分二百万円を料亭へまでわざわざ持参すること自体は不自然不合理な行動であるとの批評を免れない。
(ニ) 三百万円調達の点
被告人林の六月二十五日附検察官調書において被告人林は被告人松岡から昭和三十二年一月十三日頃本件五百万円の穴埋として三百万円の調達を要求され、金策の結果、昭和三十二年二月中旬被告人佐藤利次佐藤政勝の両名より各五十万円、水戸慶治より十五万円、被告人林自身にて百八十五万円を捻出し合計三百万円を調達し、之を持参して上京した旨の供述記載が存する(記載二五四七丁以下)が併し佐藤政勝の検察官調書(昭和三十二年六月二十二日附)同年十一月六日附証人佐藤政勝の原審第六回公判調書中の供述部分(記録一〇三九丁)及び当審昭和三十五年五月十八日附証拠調期日調書中の供述部分によれば佐藤政勝は被告人林に対し其の当時金五十万円を貸した事実は全くないことが認められ、其の当時被告人林が調達した金員は三百万円でなく二百三十五万円(被告人林百七十万円、佐藤利次五十万円水戸慶治十五万円合計二百三十五万円)であることは原審における証人水戸慶治同佐藤利次及び被告人林の原審における供述するところにより明らかであり、被告人林の原審(記録三三四八丁以下)並に当審において供述するところによれば同被告人は右二百三十五万円(うち百六十万円及び十万円の小切手各一通を含む)をもつて、昭和三十二年二月十四日岐阜経由上京し翌十五日朝被告人松岡宅で被告人松岡に鉄道審議会委員等の運動資金を準備して来た旨話をしたら同被告人よりそんな金は要らぬ、もし要れば定期預金千五百万円から出せばよい旨説得されたので被告人林は右金員の必要がなくなり右小切手二通は下坂順吾に預け残金は帰郷に際し持ち帰つたというのであつて、以上は前記検察官調書の内容と全く異なつていることが認められる。
(ホ) 押収にかゝる被告人林名義の志村化工三万株、日鉄汽船一万株の存在する点
被告人林の昭和三十二年七月五日附検察官調書では被告人林は住友銀行成城支店において借り入れた四百九十二万三千五百円(内四百万円は小切手なるも田中彰治事務所で現金化)は被告人松岡に謝礼として供与した旨の供述記載となつているに拘わらず、他方同被告人が保釈出所後の検察官調書に符合する被告人林名義の株券の存在する点は前記七月五日附検察官調書に対する有力なる物的反証と言い得る。即ち押収にかゝる志村化工三万株(当審昭和三四年領第一〇〇号の一、証第六三、六五、六六号)の裏書欄によれば昭和三十二年二月二十八日附で、日鉄汽船一万株(同証第五九、六一号)の裏書欄によれば同年同月二十一日附で被告人林唯義名義に書換登録されていることが明らかである。此の事実は後記第二(一)(二)においても説示する如く下坂順吾が被告人林の依頼により、昭和三十一年十二月八日頃志村化工及び日鉄汽船各一万株を、昭和三十二年二月二十日頃更らに志村化工二万株を夫々山二証券より買付け、同年同月二十一日頃日鉄汽船一万株の名義書換、同年同月二十八日頃志村化工三万株の名義書換(いずれも被告人林唯義名義あて)を了した旨の原審並びに当審証人下坂順吾の供述及び同人の検察官調書と照応合致すると共に、被告人林が本件金員を株式に投資した旨の同被告人の保釈出所後の検察官調書及び同被告人の原審並に当審における供述とも符合するところである。
以上被告人の勾留中における原判示検察官調書の変転性と矛盾性について大綱的に吟味したのであるが(細部の諸点は之を省略する)叙上説示するところからみても右検察官調書の信憑性については当審において深い疑念を禁ずる能わざるところであつて、たやすく措信するを得ないものと認められる。
第二、原判決における補足説明の第二に対する考察。
原判決によれば其の補足的説明の第二において「賄賂の供与かどうかの事実認定について」と題し、「昭和三十一年十一月二十日赤坂ビル内の被告人松岡の事務所において被告人林から同赤坂ビル内東和産業株式会社(以下東和産業と略称する。尚原判決に東亜とあるは東和の誤記と認める)取締役兼経理部長下坂順吾に現金四百九十二万三千五百円が手渡され、同人が之を受領した上、同ビル備付の金庫内に保管した事実は前掲証拠により明らかである。右の金員授受関係を目して検察官の主張するように賄賂の供与と認めることができるかどうかという点が本件贈収賄罪成否に関する基本的な事項である」と判示し、被告人林より下坂に対する右の金員授受関係を以て被告人松岡に対する賄賂の供与であると認定する根拠として(一)乃至(四)の項に分けて説示していることが明らかであるから、原審にあらわれた証拠資料の外、当審における証拠調の結果をも参酌して順次吟味することゝする。
(一) 原判決は其の補足的説明第二の(一)において昭和三十二年二月頃被告人林が三百万円に上る巨額の金員を急遽捻出しているが、之は被告人松岡の何等かの要求によりなされたものと認定し其の根拠を被告人林の調書(六月二十五日附、同月二十六日附、同月二十九日附)に求め、且つ被告人林の弁疏するが如く鉄道誘致運動のために巨額の金員を急遽必要とするのであれば同人は北電から交付された千五百万円の金員を、同盟会より委任された権限に基いて使用し得た筈である旨判示している。然し乍ら、被告人林の原判示検察官調書が信憑し難い点は曩に説示したとおりであつて、之を除外すれば原判示三百万円(此の金額が誤認であることは曩に説示した)が、被告人松岡より何等かの要求によりなされたものと推断すべき根拠は崩れざるを得ないのみならず原審第十三回公判調書中被告人林の供述部分によれば「(昭和三十二年)二月の陳情に行くにつけ、私の考えは、いくら砂田先生に頼んでも、又牧野先生に頼んでも結局機密の金も要るだろう、近く鉄道審議委員会が開かれて、片掛に駅をつけるかどうか協議してもらえるという事も聞いていたので其の審議委員会に先立つて機密費も要るだろうと思い、それにはわかり切つた金よりも、と考え、当時私の持つていた株を売つて百六十万円の小切手にし、それに私の手許にあつた現金十万円も小切手にして都合百七十万円、その外、佐藤利次に五十万円、水戸慶治に十五万円借り計二百三十五万円を持つて東京へ行つた。そして松岡先生に会い、金を用意して来ているが鉄道審議運動に必要なら使つて下さいと言つた。その時金額は申しまけんでした。松岡先生はそういう筋道のたたぬ金は要らぬ。運動に必要ならあの千五百万円があるではないか。内緒の金は要らぬと申された。それで私は下坂に株を売つて作つた金だから、株でも買いたいと思うと言うと下坂は何がよいかというので、東洋紡はどうか、値頃をみて一つ頼むと云つて百六十万円の小切手を下坂に預けたのである。間、その払込金の準備については手持の株を売つてまで用意する必要がなかつたのでないか。答、それはそうです。私が株を売つて用意したのは鉄道誘致のための機密の金が要るのでないかと思つて用意したのです。ところが要らぬという事であつたので、私は東洋紡の値頃を買つてくれと云つて下坂に預けた。問、昭和三十一年十二月に下坂に五百万円近くの金を預け、株を買い二百八十万円程残つているのに、それに早念に金融しなければならぬという事がわからない。答、私は今度鉄道審議会が開かれるが、それについては少しは委員の方にも寄り合いして貰わねばならぬが、その金が要るのではないかと思い金は二百万円位持つて行こうという様に考えた。問、下坂の手許にある二百八十万円は定期預金とは関係がないのだからそれを使つてもよいのではないか、急いで金を作る必要がないのではないか。答、それは銀行の預金でさえ、まだ要ると思い、株式投資を考えたくらいで、それに定期預金を担保にして借りた五百万円はキチッとしているものですから、其の金を機密費として渡すことは出来ない。問、金を用意しなければならぬという具体的な理由があるのか。答、私達は駅誘致の運動をしていたので、唯、金の嵩として審議委員会には五十名近くの人も居られたので、其の人達にも相談して貰うにはその位のものが要るのでないかという事で金の用意をした」旨の供述記載、原審第十四回公判調書中被告人林の供述部分によれば「問、そういう金なら何にも部落に秘密にする必要がなかつたのではないか。答、銀行から出して運動すれば機密費にならぬと考えたので其の金を用意したのです。問、何ういう基準から二百万円又は二百五十万円を考えたか。答、五十人の委員が居られると聞いていた。グランドホテルを会場として協議するには、どの位かゝるか予想もできなかつたが二百万円位かゝるのではないかと思つて持つて行つた。問、北電から貰つた金を東京に置いたのは、鉄道誘致運動のために東京に置いた方がよいと思つたからであると云つているが、村のために使う金なら、其の定期預金の中から公然持つて行けるのであるから、何にも個人的に用意しなくても良かつたのではないか。答、鉄道誘致は私が腹かけて遣つていたことで、村の定期預金の中から機密費を出しては、機密費にならぬと思つていた。問、千五百万円はどういう風に使うのか。答、そういう金に使うのであるが一応立替えて出した方が猪谷側にも知れないしという考えであつた。問、千五百万円の金を使うについて山田社長も監督の立場にあつたのではないか。答、相談する程度であつた。千五百万円は鉄道誘致協力金として貰つているので山田社長と相談せねばならないと考えていた。問、山田社長が領収書のない金を使つてはいけないと云つたのは何時頃のことか。答、一月の何日かであつた」旨の供述記載、原審第十五回公判調書中被告人林の供述部分によれば「問、昭和三十二年二月頃、自分の北電株を売り金を作つて行つたことは、なにか前から松岡から話があつて、持つて行けば現状が打開されると思つて持つて行つたように見受けられるがどうか。答、前もつて金の点については話は聞いておらない。問、然しそれにしては三百万円近くとは常識では大きいように思うがどうか。答、実際は二百三十五万円であります」なる旨の供述部分及び原審における証人水戸慶治、同佐藤利次の各尋問調書、原審第四回公判調書中証人山田昌作、同第六回公判調書中証人佐藤政勝の各供述部分を綜合すれば被告人林が昭和三十二年二月頃上京するに際し持参した金は三百万円ではなくて二百三十五万円であるが、持参した目的は鉄道審議委員会には約五十名の委員がいるので其の人達に鉄道審議会の開催に先立つて運動費が必要であると考えたこと、又鉄道誘致運動のために北電から交付された千五百万円の定期預金を使用しなかつたのは機密費に使うのであるから一応被告人林において立替えて出した方がよいし、又猪谷部落の者にも知られずに済み、しかも、もし千五百万円の定期預金を使うとすれば、かねて北電の山田社長から此の金は領収書のない用途に使つてはいけないと云われていたからであり、又下坂順吾に預けている同人保管の金員を使わなかつたのは、それが定期預金を担保にして借りた五百万円から株式を買付けた残金であり、被告人林においては此の金はキチッとしているものであるから該残金を機密費として使用することは妥当でないと考えたからであり、又此の金策は被告人松岡の何等かの形による要求によりなされたものでなく、被告人林の独自の考えに基くものであると認められる。右認定事実には多分に被告人林の主観的な意図や判断を包含するものであるが、他に右認定を覆えすに足る証拠は見出せない。殊に、被告人林に反対する平口敬三等十三名の一派が大沢野警察署に被告人林を告発した日時が昭和三十二年四月三日頃であり、同警察署は爾後被告人林等の被疑事実に対する捜査を開始したものなることは被告人林の原審及び当審において供述するところ及び原審第十一回公判調書中証人城田幸里同西野義治の各供述部分、原審第十二回公判調書中証人元吉甚一の供述部分に徴して明らかであるが、被告人林が金二百三十五万円をもつて上京したのはこれより先同年二月中旬であることは前記認定事実のとおりであるから客観的な右日時の関係からみても、被告人林は大沢野警察署よりの犯罪容疑ないし捜査官の追及を回避又は隠蔽し又は証拠を隠滅する等の意図をもつて、右二百三十五万円を所持し上京したものとは認められない。そうだとすれば右認定に反する原判決の推測的判断は確実な証拠に基かない臆測に類するとの批難を免れない。
原判決は被告人松岡の何等かの要求により被告人林が急遽三百万円を調達したものであるとの推断(第一の推断)に基き、更らに其の当時(昭和三十二年二月頃)には下坂順吾の手許に片掛部落よりの保管現金は既に存在しなかつたものではないか(株式買付を目的とする被告人林と下坂順吾間の金員保管の委託関係の不存在)との第二の推断を下していること原判文上明らかであるが、右第一の推断が崩れる以上、之に立脚する第二の推断も其の根拠を失うことは当然であるところ、更らに原判決の根拠とする原判示小切手の使用に対し説示しておく必要がある。即ち原判決は下坂が被告人林の依頼による第二回目の志村化工二万株買増しの分の代金支払に際し、下坂が其の代金中の一部に後で被告人林から預つた小切手二通(金額百六十万円の小切手一通、金額十万円の小切手一通)を流用した事実を捉えて、其の当時下坂が曩に被告人林から預つた現金は既に手許に存在しなかつたと思料されると推断し、被告人林と下坂との間の昭和三十一年十一月二十日の現金授受は株式買付委託のための預り金ではないとの認定の根拠としていること原判文上明らかである。併し乍ら原審及び当審における証人下坂順吾、同横井春見並びに被告人林の夫々供述するところ、と押収にかゝる金額、四百万円の小切手、志村化工、日鉄汽船の株券(昭和三十四年領第一〇〇号の一、証第三〇、五九、六一、六三、六五号)とによれば下坂は、被告人林のために同人の依頼した通り志村化工二万株に買付けて代金の支払、株券の受領、名義書換手続等のすべてを完了していること、及び下坂が被告人林より新株払込のために預つた線引小切手(同証第八三号)は、振出日より十日以内に銀行を通じて取立をしなければならないので其の煩雑さを避けて被告人林の依頼による志村化工二万株買増分の代金支払に使用したものであることが認められ、殊に原審証人高橋孝同長井ヒデ各尋問調書(記録四八七丁、五四六丁)によれば、下坂が被告人林より受領した風呂敷包中の札束の大部分が無印の幅広白紙の帯封のものであり銀行印の押捺されたものでなく、又下坂が昭和三十三年五月十四日第一銀行本店へ志村化工三万株の新株払込のため持参した札束も右と同様白い無印の紙帯封であつたことが認められるのであるから、(右認定に反する証拠はない)此の両者は同一の紙幣であることが推認し得られるのである。従つて当時下坂の手許に被告人林のための保管金がなかつたとの原判示推断は失当と云うべきである。(尚原判決は本件贈収賄を有罪と認定する証拠として押収にかかる買付伝票九通((同証第七七号))株券記番号帳二冊((同証第七八号))並びに証人横井春見尋問調書、横井春見の検察官調書を挙示している。ところで右買付伝票中昭和三十一年十二月四日約定の志村化工五千株の分二通、日鉄汽船九千株一千株各一通の委託者欄はいずれも松山との記載を抹消して林唯義と記載されており、昭和三十二年二月十五日約定の志村化工一万株、四千五百株、五千五百株の分三通の委託者欄には、いずれも松岡との記載を抹消して林唯義と記載されていること、又右株券記番号帳中志村化工の部及び日鉄汽船の部には夫々昭和三十一年十二月七日の欄中売渡先松山との記載を抹消して林と記載されていることが認められ、これと横井春見の検察官調書((証人横井春見尋問調書も同趣旨))中「下坂の方から松山という偽名を指定された訳でなく、適当な名前で買つてくれという話であつたから私の方で考えて松岡の松の字をとつて松山という名前で伝票を書いておいた。下坂が私に電話で株の買付を依頼の際同人は松岡先生の株を買つてくれとは別に云わなかつたが、私は同人が松岡の使用人で松岡のために忠実に使い歩きをする事務員だと思つているので、下坂の電話注文はすべて松岡の指示で同人のために買付をされたものだと考えていた。昭和三十二年四月下旬頃下坂より前に買付の志村化工一万株と二万株の買付委託者の名義を林唯義に書き改めてくれと依頼を受け、そのように書き改めた」旨の各供述記載((記録二四一七丁及び二四三九丁))を彼此対照すれば、右に掲げた各証拠はいずれも本件贈収賄を有罪と認定する決め手とする証拠でないことは勿論之を推認する資料としての証拠価値にも乏しいものと認められる。
(二) 次に原判決はその補足的説明第二の(二)において原審における証人近藤航一郎同下坂順吾に対する各尋問調書及びメモ(昭和三四年領第一〇〇号の一、証第五七号)に基き昭和三十二年五月十日頃下坂順吾から被告人林に対して買付株券保管現金等を一切引渡すことになつたのであるが、其の際下坂順吾から被告人林に対し保管金の支出状況を明確にするメモ(同証第五七号)が渡されており右メモには
預り金 五、〇〇〇、〇〇〇円
株式 四、九二三、五〇〇円
残金 一一、〇〇〇円
である旨が記載されているけれども、下坂順吾が被告人林から受取つた金員は判示のとおり四、九二三、五〇〇円であるに拘わらず、預り金五、〇〇〇、〇〇〇円と記載され此の数額を計算の基礎とする右メモは事実に相違する記載であるからこれによつても被告人林の主張するような金員保管の委託関係はなかつたものと推断していること原判文より明らかである。併し原審における証人下坂順吾尋問調書(記録四九四丁以下)証人近藤航一郎尋問調書(同三六九丁以下)下坂順吾名義の上申書(同二二七六丁)、当審昭和三十五年四月二十五日附証拠調期日調書中証人下坂順吾、の供述部分(末尾預り金計算書を含む)同年七月六日附同調書中証人近藤航一郎の供述部分によれば右メモは下坂順吾が被告人林から株式を買つた金の概略を聞かれたので、資料によらず概略を書いたものであつて、預り金五百万円とあるのは下坂順吾の計算としては株式を買つた金と残金とを計算すると五百万になるという意味であり、又株式買付金額は
志村化工日鉄汽船各一万株合計
二、一八〇、〇〇〇円(支出)
志村化工二万株(買増分)
二、八〇九、〇〇〇円(支出)
右合計 四、九八九、〇〇〇円
残金 一一、〇〇〇円
となり計算上の違算はなく、更らに之を収支の面より検討するに、
収入の部
預り金 四、九二三、五〇〇円
小切手 一、六〇〇、〇〇〇円
小切手 一〇〇、〇〇〇円
合計(収入)六、六二三、五〇〇円
支出の部
志村化工一万株
一、四三八、〇〇〇円
日鉄汽船一万株 七四二、〇〇〇円
被告人林へ支出(小切手と交換)
一〇〇、〇〇〇円
志村化工二万株(買増分)
二、八〇九、〇〇〇円
交通費弁当代等雑費
二三、五〇〇円
志村化工新株(三万株)引当金
一、五〇〇、〇〇〇円
合計(支出) 六、六一二、五〇〇円
収入(合計)より支出(合計)を控除
した残高 一一、〇〇〇円
右計算のとおり残金一一、〇〇〇円となり、此の残金が下坂順吾より被告人林を経て近藤航一郎に交付されていること前掲証拠により明らかであつて(右認定を覆えすに足る証拠はない)前記メモの記載を以て原判決の如く金員保管の委託関係がないものと推断することは当を得ないものと謂うべきである。
(三) 次に原判決は其の補足説明の(三)において「下坂順吾が東洋紡九千株金額百五十万円位の売買をなした架空の取引計算書二通(同証第二八号)を作成した目的は当時の片掛部落内の情勢、下坂順吾と被告人松岡との関係、同人の地位、立場等から考えて其の頃下坂順吾の手許には尚百五十万円程度の金員が保管されていたものであるとの偽装アリバイを用意しておくためのものであつたと認められないこともないと考えられる」旨判示している。原審証人下坂順吾尋問調書によれば下坂は被告人林から百六十万円の小切手を預つた際(昭和三十二年二月十六日頃)同被告人から、此の金(小切手金)は志村化工の増資新株の払込に引当てるのだが、まだ増資の期日も決つていないから東洋紡の株でも買つておいてくれと頼まれたのであるが、当時東洋紡は百八十一円位であり私は百七十五円になると思つて待つていたが値下りせず、其のうちに時期を失して買えなかつたから、後日同被告人に対する言訳の意味で山二証券の専務横井春見に頼んで架空の東洋紡売買取引計算書を作つて貰つた旨を供述していることが認められるのであるけれども、併し乍ら同尋問調書によれば下坂は其の後(同年五月十四日)被告人林のために志村化工の増資新株二万株の代金百五十万円を払込んだ旨供述記載(記録四九八丁)が認められるのであるから、此のことから下坂の手許には被告人林より曩に預つた現金が保管されていたことを推認することもできるのであつて前記東洋紡の架空取引計算書から直ちに原判示の如き百五十万円の偽装アリバイ工作という悪意の推認をすることは当を失するものと謂い得る。
(四) 原判決は其の補足的説明第二の(四)において「本件は経理関係の内容が不正確であり、契約関係終了の事態は複雑且つ不自然であり況んや(イ)佐藤利次において被告人松岡等に謝礼を供与する意図があり、金谷一雄、斎藤大六に対しては其の意図どおり報酬金が支払われていること(ロ)住友銀行成城支店において五百万円を借入れる際全額現金を要求している事実並びに田中彰治方で即時現金化して持ち帰つている諸点に疑問が存在するので本件贈賄を自供せる被告人林の検察官調書を信用せざるを得ない」旨判示していること原判文上明らかである。併し経理関係の内容については前に説示したとおり正確であると認められる。(証第五七号のメモは下坂順吾の記憶に基く概要を計算したものであるから、計数的には実際と完全に符合していないが概算としては正鵠を得ているものと評して差支えない。)又原判示の契約関係終了の際の事態とは保管事務引継の際の事態を指称するものと考えられるが原審における証人近藤航一郎同下坂順吾各尋問調書(記録三六九丁以下、四九四丁以下)当審における昭和三十五年四月二十五日附証拠調期日調書中証人下坂順吾の供述部分、同年七月六日附証拠調期日調書中証人近藤航一郎の供述部分によれば、昭和三十二年五月十日頃赤坂ビル東和産業事務室で被告人林、下坂順吾、近藤航一郎等が居合せた席上、下坂順吾より大事なものを保管しているのだが之をどうするかという話が出て、近藤航一郎は当時片掛部落から色々と相談を受けているので自分が預るのが適当と考えて同人の発意により同人が預ることとなり、その日の午後被告人林、同佐藤の両名が近藤航一郎の事務所へ持参し三名立会の上点検して近藤航一郎が其の預り書を書いて預つたものであることが認められ(右認定に反する証拠はない)原判示の如く必ずしも不自然且つ複雑として之を疑惑視すべきものとは認められない。又(イ)佐藤利次作成のメモ(昭和三四年領第一〇〇号の一、証第二一号)並びに原審第八回公判調書中証人佐藤利次の供述部分によれば、佐藤利次自身が自己の考えを書いて謝礼を出す計画を立ててみた事及び金谷一雄、斎藤大六に対して謝礼の支払われた事実は認められるが、右の事実を以て被告人松岡に対する謝礼を支払つたものと推認することができないことは云うまでもないところである。(ロ)被告人林が住友銀行成城支店において五百万円を借入れる際同人が現金で欲しい旨申入れ、同銀行の都合で、四百万円は小切手で受取り、右小切手を田中彰治事務所で現金化したものであることは原審証人長谷川卓児、同長井ヒデ各尋問調書により明らかであるが、右現金化したことにつき被告人林の当審における上申書(昭和三十五年九月五日附)によれば「銀行の支店長は『御用立するお金は全部現金にしますか、小切手でも宜しいでせうか』と聞いたから、突然思つてもいなかつたことで私として大した考えもなかつたが、現金にして貰いたいと依頼した。これは別段深い考えがあつたのではなく、どちらであつても差支えはなかつたが、当時の気持を今日強いて分析してみると、現金なら他人に渡してもすぐ株を買つて貰えるが、小切手なら一度取立する手間が要るので、できれば現金の方が便利だろうと考えたゝめだと思うが、之はあくまで後日の判断であつて、当時は別段に深い考えは何もなかつたというのが真相である」旨の記載(同上申書一二頁、一三頁)に徴するときは被告人林が小切手四百万円を即日現金化した点は原判示の如く被告人松岡に対する贈賄のためであると悪意的に推測することは当を得たものとは認められない。又原判示の被告人林の検察官調書が措信し難い点は曩に説示したとおりであるから、原判決の掲げる疑問の諸点を解決するために被告人林の検察官調書を措信せんとする原判決の態度は正当とは認められない。尚ここで住友銀行成城支店における五百万円の資金借入に関連して同支店における借入資金の目的について附言しておく。原判示第一(一)の本文において「被告人林は謝礼金捻出のため右成城支店から右千五百万円の定期預金を担保として五百万円の借入を企て借入名義を不動産売却関係費用及び運転資金とし、現金の交付を求め、右支店は借入目的が買上げ土地代金の支払の充当であると聞き貸出すことになつた」旨判示していること原判文上明らかである。原判決挙示の証拠中此の点に関する主たる証拠は証人長谷川卓児、同山崎沖之助、同佐藤玄、同橋詰恒三の各尋問調書、長谷川卓児の検察官調書、押収にかゝる借入申込書等綴(昭和三四年領第一〇〇号の一、証第三三号)である。これらの証拠を綜合して認定し得るところは、住友銀行成城支店長たる長谷川卓児が直接被告人林等に面接して貸付事務を行つたものであつて証第三三号中の融資申込書(昭和三十一年十一月二十日附)は、右長谷川支店長が被告人林の印の押捺を受けて作成したものであること、右融資申込書における資金の使途欄に不動産売却関係費用及び運転資金と記載されていること、右長谷川支店長は貸付事務一般につき融資申込書及び極度外取引認可申請書における資金の使途欄に株式投資のためと記載することは本店審査部へ認可申請をなす際に面白くない若しくは好ましくないと考えていたこと、本件貸付にあたり被告人林より株式投資のための借入である旨を聞いたか否か明確な記憶がないということに帰着するわけであるが、当審証人田中彰治の供述するところ、及び田中彰治が原審において提出せる上申書二通によれば同人は右成城支店における貸借取引に立会い右借入資金の使途が株式投資にあつたことを十分知つていた事が認められるのであるから(右認定を覆えすに足る証拠はない)右融資申込書の資金使途欄に被告人林の主張する如き「株式投資」と記載せられていない一事を捉えて以て被告人松岡に対する謝礼金供与を認定する資料とはなし難い。
(五) 原判決は其の補足的説明第二の末尾において前記(一)乃至(四)の理由を掲げて、被告人林と下坂との間の本件金員の授受が被告人林の主張する如き株式買付のための金員保管の委託関係とは認められない理由の一端とし「これらの諸点はいずれも被告人林と下坂順吾との関係において生じたものであり、直接被告人松岡との関係において生じたものでないから被告人林と下坂順吾との間の右金員の授受関係が前示のように適法な金員保管の委託関係とは認められないということからだけでは論理的必然的に本件金員は被告人林から被告人松岡に対し判示認定のような賄賂を供与したものであると認定し得ることにはならない」旨判示していることが明らかであり、此の論理法則が正当であることは云うまでもないところである。被告人松岡が東和産業の取締役会長であること、下坂順吾が同会社の経理部長であることは記録上明らかであるが、右両者間にたとえ東和産業の取締役会長と経理部長との関係があつても、唯これだけの関係で下坂が受領した金員が即ち被告人松岡の受領した金員となるものでないことは云うを俟たない。(右金員を被告人林が下坂に預けたことは被告人松岡に渡したと同様に考え得る関係にある旨の原審検察官の論告要旨第四、四、4の主張((記録三五三八丁裏))には論理的飛躍があつて到底左袒し難い)。被告人林が下坂順吾に交付した金員につき、被告人松岡が之を収受したと認定するためには当然そのための証拠を必要とするわけである。そこで原判決は次に記すとおり被告人林の供述につき二者択一論を展開して、被告人林の勾留中の自供調書を以て之に応えんとするのであるが、二者択一論が採用すべからざることは次に説明するとおりであり、右自供調書の措信すべからざる点は前に説示したところである。
原判決は右の原判決に引続き「被告人林は右金員授受の趣旨について従来二つの異つた供述をしているのであり、一つは本件護岸問題解決の謝礼として供与したものであるとする供述(被告人林の勾留中における検察官調書、昭和三十一年六月十三日附、同月二十五日附、同月二十六日附、同月二十九日附)他は株式買入のため右金員保管を依頼したものであるとする供述(被告人林の原審公判廷における供述、同被告人の保釈出所後の検察官調書、昭和三十一年七月二十四日附等)であり、而してこれらの供述において明らかにされている二つの趣旨のみが本件金員授受の趣旨として考えられ得るところのものであるから此の両者の供述が本件にあらわれた他の一切の情況証拠に照し孰れを信用し得るか、若し一方を信用し得ないということになれば必然的に他方を信用し得るということになる関係にある。而して被告人林と下坂順吾との間の本件金員授受関係が右のとおり株式買付のための金員保管の委託関係と認められない以上、此の趣旨に副う被告人林の前示供述は信用することができず、当然に右金員は本件護岸問題解決の謝礼として被告人松岡に供与したものであるとする前示供述の方を信用し得ることゝなる」旨の二者択一論を採つていること原判文上明らかである。併し乍ら刑事裁判においては審判の対象について実体的真実を発見することを其の使命とするのであつて、被告人の供述が一途であろうが二途に出でようが若しくは三途に岐れようとも、其のいずれもが実体的真実に合致しない場合には被告人の供述を措信すべきものではない。原判決の如く被告人の供述が二途に出た場合であつても其の二途以外には実体的真実が存在しないとの前提に立つこと自体が既に誤りであるから、其の一方が措信し難いからといつて直ちに他方を真実なりと認定する二者択一論を以て被告人の刑事責任の存否を決することは人権に対する重大な危険を孕むもので、看過すべからざる謬論である。
更らに原判決は右説示に引続き「而して被告人林の前者の供述即ち謝礼として供与したものであるとする供述においては勿論、後者の供述即ち株買付のための金員保管を依頼したものであるとする供述においてさえも、被告人松岡は被告人林と下坂順吾との間の本件金員の授受関係について充分その情を知つていたことが認められるわけであるから、本件金員が具体的には被告人林から被告人松岡の手を通じて下坂順吾に手渡されたものか或は直接下坂順吾に手渡されたものか、その点は供述自体からは必ずしも明確ではないが、兎に角下坂順吾が此の金員を受取りこれを保管していたことについてまことに明らかな本件においては右金員は被告人林から被告人松岡に対し本件護岸問題解決の謝礼として供与したものであるとする判示認定を左右することにならない」旨判示している。原判決は右説示において、被告人松岡は、下坂順吾が被告人林から受取つた本件金員が、護岸問題解決により自己に供与された謝礼たる情を知つていた旨を説示しているが、右知情を確認し得る証拠は原審並びに当審にあらわれたすべての証拠資料を検討するも信憑性の極めて薄弱な被告人林の前記検察官調書を除いては之を見出し得ないばかりでなく、下坂順吾においても本件金員が被告人松岡に対する謝礼金であることを知つていた旨を認め得る証拠がない。当審において(弁論再開後)取調べた菅沢進一の検察官に対する昭和三十五年十月二十四日附供述調書及び封書一通(同証第一六八号)並び当審第八回公判における被告人林の供述を綜合するも、被告人林は前記昭和三十一年十一月二十日住友銀行成城支店において金五百万円を借り受けるに際し偶々其の場に居合せた、当時被告人松岡の秘書たりし菅沢進一に約束手形(同証第五四号)振出の代書を依頼した事実が認められるに止まり、之を以て原判示認定の資料とするに足らぬ。之を要するに、原判決が其の補足的説明第二につき説示するところはすべて失当と謂わねばならない。
以上の諸点につき原審及び当審における各証拠調の結果を仔細に検討し彼此綜合して考察するときは原判示第一、(一)(二)の贈賄収の点につき原判決の挙示する被告人林の検察官調書には十分なる信憑性を認め難く、又原判決が其の補足的説明の第二において説示した諸点の判旨も正鵠を得ず、結局被告人林が被告人松岡に謝礼金を供与した点及び被告人松岡が被告人林より謝礼金を収受した点を確認するに足るきめ手となる証拠は勿論之を推認するに足る情況証拠も未だ十分でなく、検察官の全立証を以てするも本件贈収賄を有罪と認定するに足る証明十分とは認められず、他に叙上の認定を覆えすに足る有力な証拠がない。されば原判決第一、(一)(二)は其の証明不十分なるに之を有罪と認定した点において事実を誤認したものと謂うべく、此の誤は判決に影響を及ぼすことが明らかである。事実誤認の論旨は理由があるから、他の論旨について判断するまでもなく原判決は破棄を免れない。
原判示第二(一)(被告人佐藤利次にかゝる業務上横領)に対する事実誤認の控訴趣意について。
併し乍ら原判決挙示の証拠を綜合すれば被告人佐藤は原判示冒頭記載のとおり富山県婦負郡細入村片掛部落の総代を勤め同部落の諸経費の収支並びに部落共有金保管等の業務に、又同部落に前記同盟会が出来た際其の副会長となり会長林唯義と共に、護岸問題に関し、北電との交渉並びにこれに伴う金銭の保管、収支等の業務に従事していたものなること、及び原判示第二(一)記載のとおり被告人佐藤は前記片掛部落総代に就任した昭和三十一年一月初旬には部落共有金は二百八十一万四百五円(北陸銀行預金)であつたが、其の後預金利息(同年十月十五日迄の間に、十万五千四百七十四円、二万四千八百六十五円及び四千八百二十六円、合計十三万五千百六十五円)が加算され預金合計二百九十四万五千五百七十円に増加したところ、同年十一月二十八日頃右片掛部落内の被告人佐藤の自宅において前記自己の業務に関し右部落共有金の内から運動費水増分として二十七万九千八百六十円、銀行利子を隠匿したもの十二万九千五百九十五円合計四十万九千四百五十五円をほしいまゝに着服して横領した事実を肯認することができる。所論は昭和三十一年十一月頃林と金谷との間の反目確執が熾烈となつたところ、被告人佐藤は片掛部落の鉄道誘致運動には今後も金谷の協力を受ける必要が大であると考え当時金谷に対し交付された謝礼金五十万円の外に、更に五十万円交付せんものと思料し部落の利益のために林にも部落の者にも秘匿して原判示金員を保管していたものであつて横領したものでないから原判決は事実誤認である」旨主張する。併し乍ら原判決挙示の証拠殊に押収にかゝる高橋武雄名義借用証書二通(昭和三十四年領第一〇〇号の二、証第六、七号)及び被告人佐藤の原判示検察官調書を綜合すれば被告人佐藤は高橋武雄に対し前記水増分二十七万九千八百六十円中より昭和三十二年一月三十一日金十二万円銀行利子隠匿分十二万九千五百九十五円中より同年二月十三日金十万円を夫々貸与している事実が認められるところ、右認定事実に徴し、所論にそう被告人の原審並びに当審の供述はたやすく措信し難い。論旨は採用し得ない。
原判示第二の(二)(被告人林唯義同佐藤利次にかゝる業務上横領)に対する事実誤認の論旨について。
原判決は、理由冒頭において「被告人林唯義は昭和三十年七月上旬前記片掛部落民より片掛部落沿岸保全期成同盟会が結成されるや、その会長となり護岸問題に関し、北電との交渉並びにこれに伴う金銭の保管収支等の業務に従事していた」旨判示し、被告人佐藤利次については前段説示の業務に従事していた旨判示し原判示第二の(二)において「被告人林、同佐藤は共謀の上、昭和三十一年十一月二十八日頃富山県婦負郡細入村片掛所在の被告人林宅において、冒頭掲記の各業務に関し、共同保管中の部落共有金(前記北電より部落に交付された斗争費五百万円)から被告人両名共各自金五十万円宛(合計百万円)をほしいまゝに着服して横領したものである」旨認定し被告人林、同佐藤に対し各業務上横領罪の成立を認めていることは所論のとおりである。所論は「被告人林、同佐藤の両名が原判示金員を各自己に領得した外形的事実は之を争わないが、右被告人両名にはいずれも不法領得の意思がなかつたものであるから原判決は事実誤認である」旨主張する。記録によれば右金員は曩に説示した北電から交付を受けた千五百万円と五百万円の二ロのうち其の後者五百万円の一部であること及び被告人両名はいずれも原審及び当審において原判示各五十万円を自己に領得したという外形的事実は之を争つていないことが明らかである。よつて先づ右金員の性質及び被告人両名が之を領得するに至つた経緯につき考察する。原判決の挙示する証拠(但し被告人林の昭和三十二年六月十四日附検察官調書は之を除く。其の理由は前段贈収賄の論旨に対し説示したところと同一に帰着する)殊に原審第九回公判調書中証人山本善次の供述記載(記録三三七丁以下)として「自分は北電の副社長であるが、衆議院決算委員会は北電の社長山田昌作を昭和三十一年三月五日参考人として同年五月二十五日証人として同委員会に喚問した。山本副社長は二回共之を傍聴した、右の五月二十五日の委員会において委員松岡松平から山田社長に対し色々質問があり、昭和二十九年以来片掛部落が支出した上京費用、調査費用、調査費、集会費等に対して会社が幾ら払つてやるかとの質問に対し、社長は応分の協力をしますと云つた。六月二日自分は院内社会党控室で上林決算委員長等に面会し、部落が使用した経費について会社より三百万円寄附する旨述べたら聞いておくとの事であつた。七月二十日国会の常任委員会の建物内で松岡委員と会つた際、松岡委員から産業開発助成金として会社から二千万円出して貰いたいという提案があつた。金額は此の時初めて出て来たのである。八月二十三日松岡委員から産業開発助成金二千万円はそれ以下に切り下げる訳にはいかぬと云われたが私は理由がないから出せないと断つた。其の後社長と私と補償課長と相談の結果、九月七日田中委員と田中事務所で会い、水利権を抛棄するなら其の代償として会社から一千万円出すから纏めて欲しいと話した。其後田中委員から二千万円とは云わぬ、千五百万円まで下げるから一つ出してくれと松岡君が云つていたとの回答があつた。松岡委員が渡米から帰つて後の十月十六日同委員から部落の経費五百万使つたというから出してやつてくれとの話があつた。それで会社側でも、部落が使つたというなら五百万円出そうじやないか、又開田(初めは水利権であつた)を抛棄するなら千五百万円出そうという方針が定つた、十一月二十日松岡事務所で協定成立し千五百万円と五百万円の二通の小切手を林、佐藤の二人に渡した。其の五百万円は部落が使つた金であるから穴埋めするものでなかろうかと思つた。初めは部落の使つた金た三百万円ということであつたが、三百万円では足らぬから、あと二百万円出してくれということであつた。二百万円も三百万円も片掛部落へ交付した金であつて区別がないものである。三百万円を五百万円に増額するについて具体的説明はなかつたが、部落が従来使つた経費の外に金谷や斎藤らに対して支払うべきものがあるので二百万円の増額がなされたものと考えた。此の二百万円増額の交渉をした相手方は松岡松平だけであつて、被告人両名とは交渉しなかつた」旨の供述記載、原審第十回公判調書中証人松岡松平の供述記載(記録三八五丁以下)として「北電が斗争実費三百万円を出すと云つたのは昭和三十一年八月末であつた。当時被告人両名は何回となく私の後を追つて面会に来た。何か不服があるのかと云つても黙つているばかりで何も云わず、折角北電が案を出したのだからこゝで解決したらどうかと云つてもなお黙つて不服そうな顔をしているので『君達は個人的に金を貰いたいのか』と聞いたら『そうです』と答え、其のわけを聞くと百七八十日間も仕事を捨てゝ交渉に当つており個人的に費用を使つているから何とかして貰いたいと云つた。私は『君達は部落の代表者だから部落のために働くのは当然だ、部落のために働いたからと云つて報酬をくれというのはどうした事か』と聞くと彼等は報酬でなく実費であつて北電に対し要求してくれと強く云つた。それで私は山本副社長に交渉したら、同人は斗争費について実際は三百万円も使つていないだろう、恐らく社長はうんと云わないだろうと良い返事をせず、私は其後渡米した。北電が渡した五百万円のうち、二百万円は其の性質が違う。被告人両名が約二年間、此の運動のためにいろいろ費用を使つているから、其の支出した費用や得られなかつた収入等の個人的負担を償つてほしいと被告人両名から要求があり私も気の毒に思つた。彼等に対する補償は部落の決議によりなすべきものとは考えていない。此の五百万百のうちの二百万円は被告人両名金谷その他の関係者の謝礼とするために私が山本副社長に対し要求したのであつて北電としてもその心算で出したものと思う。此の二百万円については北電は『松岡先生の弁護料として受取つてくれ』と云つたが私は『とんでもない事だ』と断つた。二百万円と三百万円の二通の領収書にするのが妥当で(実際は五百万円の領収書一通である。昭和三四年領一〇〇号の一、証第五号中の金額五百万円の領収書一通参照)それをしなかつた事が不注意であつたかも知れないが契約の真の意味は領収書などの表面だけで判断すべきものでなく、契約の過程で理解すべきものである。斗争費は三百万円以上使つていないことが明らかであつた。二百万円の内訳は謝礼として被告人両名に五十万円宛、その他の協力者に百万円となつておつた。北電側としては五百万円の中に被告人両名その他の運動関係者に対する謝礼が二百万円含んでいるのだという趣旨で部落へ五百万円を出したものと理解している。又その趣旨は被告人両名に話した。それでその二百万円を外の金と区別して渡してくれと要求したことはない。五百万円のうちから五十万円は私が直接金谷に渡した(十一月二十日)」旨の供述記載並びに当審における証拠調期日調書(昭和三十五年六月十五日附)中証人山田昌作同山本善次の各供述部分、同調書(同年七月六日附)中証人近藤航一郎の供述部分、当審第四回公判調書中証人林成一の供述部分、同第六回公判調書中被告人林唯義の供述、当審検証調書(昭和三十五年四月二十五日附)押収にかかる協定書、覚書の各写一通(昭和三十四年領第一〇〇号の二、証第六九号)領収書写二通(同証第七〇号)を綜合すれば(一)松岡松平は被告人林同佐藤の依頼により護岸問題につき北電と交渉して片掛部落の産業開発協力費として金千五百万円の外、同部落の護岸問題に関する運動費の実費相当額として金三百万円を北電より部落に交付せしめることとなつた(二)これを聞いた被告人林同佐藤の両名は既に此の運動等に費消せる片掛部落共有金二百八十余万円に右三百万円を充当すれば被告人両名が本件護岸問題の運動に費消した私費による雑用については何等の弁償を得ることができないため、更らに其の分の補償を北電に要求することを松岡松平に依頼したこと。(三)よつて松岡は被告人両名の補償並びに本件護岸問題に協力した金谷一雄斎藤大六に対する謝礼の分を一括して二百万円と概算し、其の分を右三百万円に附加増額せられたい旨北電側に要求した結果其の諒承を得て昭和三十一年十一月二十日原判示松岡事務所において協定成立し五百万円の交付を受けることに成功したものであること(四)その際松岡は北電に対し三百万円と二百万円とは金員の性質を異にすることの十分なる説明をなさず協定条項においても其の点明確でなく、其の結果北電より額面五百万円の小切手一通が振出され被告人林らも亦北電側の求める儘に五百万円の領収書を作成するに至つたこと(五)北電との接渉には松岡松平が当つて居り被告人両名は其の交渉の衝に直接当らなかつたため交渉の内容は直接には判らなかつたこと、(六)右協定成立の日の午後松岡事務所において松岡は被告人林より現金五十万円を受取り直ちに金谷一雄に協力に対する謝礼として交付していること(七)被告人両名は右二百万円のうち各自五十万円宛合計百万円は自分らのものとして交付せられたものであると信じ帰郷の後原判示日時頃被告人林宅において、被告人両名は北電よりの前記交付金につき清算をなし其の際被告人両名は各自五十万円づつを右交付金中より夫々自己に領得したこと、(八)翌二十九日部落総会を開いて北電よりの交付金に対する清算の結果を発表したのであるが北電からの要望により同会社の交付額については当分の間発表しないことをも併せ述べ出席者中には之に異議を唱えるものはなかつたこと、(九)翌三十二年の四月上旬部落における反対派の者から被告人両名に北電交付金に対する不正領得の疑ありとして大沢野署に告発せらるるに至り其の後被告人両名は同署で取調を受けるようになつたこと、(10)そのため被告人両名は更らに上京して松岡の紹介により弁護士近藤航一郎に相談することゝなつたのであるが同弁護士より告発事件は部落内の紛争であるから被告人両名が取得した各金五十万円計百万円は部落に返還するのが紛争解決のため適当な処置である旨勧告を受けたが、被告人両名は事情を説明し右金員は部落の共有金ではなく被告人両名の雑用として個人的に交付を受けた金員であるから部落に返還すべき筋合でないと強く反対したけれども結局近藤弁護士の強い説得を受けて其の返還に同意したこと、(二)被告人林は同年五月十三日附で反対派を誣告罪で富山地方検察庁検事正あてに告訴した事実が夫々認められる。
右認定事実によれば被告人両名の取得した各金五十万円を含む金五百万円は北電より片掛部落代表たる被告人両名に対し交付せられたものであるから客観的には右各五十万円は部落共有金に属するものと認めるを相当とする。併し乍ら被告人両名の主観的認識を検討するに、北電の交付してくれる三百万円が五百万円に増額になつたのは右(二)の事情のもとに被告人両名等の費消した雑用の補償等を松岡に要求した結果北電側も之を諒承してくれているものと考えていた点、北電との協定成立の日被告人両名の受領した金員中より松岡が直接金五十万円を金谷一雄に謝礼として交付し、敢て片掛部落総会にはかる手続をとらなかつたのは松岡自身において右増額分二百万円は部落共有金たるべき三百万円とは金員の性質を異にし一々其の処分を部落総会にはかる必要がないものと考えていたゝめであり、被告人両名も亦松岡より其の趣旨の説明を受けて同様に考えていた点(弁護士として法律関係に通ずる松岡松平としては北電に対し右二百万円と三百万円につき前記協定の条項において其の性質を明確にし且つ領収書の形式をも二百万円と三百万円の二通とすべかりしに拘わらず同人が之を怠つた点は紛争に対する処理不十分との批評を免れないところである)更らに被告人両名が反対派より告発を受けた後弁護士近藤航一郎より右取得分の金員は部落へ返還すべき旨勧説を受けたるに拘わらず、たやすく之を肯じなかつた理由は被告人両名において右金員は右両名の約二ヶ年に亘る継続的な護岸運動のために費消した私費の雑用を補償するための個人的な金員であると考えていた点に徴し被告人両名が右金員につき不法に之を領得するの犯意を有していたものと認定することは極めて困難であると謂うべく、むしろ、被告人両名は之を自己に領得する正当なる権利を有していると誤信していたことが窺われるのである。
原審並びに当審にあらわれた各証拠調の結果を仔細に検討し彼此綜合して考察するときは、検察官の全立証を以てするも右のように被告人林同佐藤の両名に対し本件金員に対する不法領得の犯意ありと断定するに足る証明が十分であるとは認め難く、他に右認定を覆えすに足る有力な証拠はない。してみれば被告人両名において不法領得の犯意ありとして本件各五十万円につき業務上横領罪を認定した原判決は此の点において事実の誤認があり、此の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから論旨は理由があり原判決は破棄を免れない。従つて被告人林同佐藤に対する其の他の論旨に対する判断は之を省略する。
以上の理由により刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条に則り原判決を破棄した上、同法第四百条但書に従い当審において自判する。
被告人佐藤利次の罪となるべき事実は原判決理由の冒頭、被告人等の経歴及び職務権限の項第三段、被告人佐藤利次に関する業務の摘示及び原判示第二(一)の摘示と同一であり、之を認めた証拠は右事実に関する原判決挙示の証拠と同一である。
法律に照すに、被告人佐藤利次の所為は刑法第二百五十三条に該当するから所定刑期範囲内において同被告人を懲役八月に処することゝし、諸般の情状を斟酌し同法第二十五条第一項第一号に従い此の裁判破定の日から参年間右刑の執行を猶予し、原審並びに当審における訴訟費用につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用し主文第四項のとおり同被告人をして負担せしめる。
(本件公訴事実中無罪の部分の判示)
一、昭和三十三年一月二十七日起訴にかゝる被告人林唯義に対する贈賄、被告人松岡松平に対する収賄の各公訴事実。
被告人林唯義は昭和二十八年十一月初頃から富山県婦負郡細入村片掛地内北陸電力株式会社(以下北電と略称する)神通川第一発電所ダム湛水に因り発生した片掛地内沿岸地一部の崩壊について北電に対し、片掛部落を代表して片掛地内ダム沿岸地に対する護岸工事の施行又は之に代る補償の要求(以下単に護岸問題と省略する)の交渉にあたつて来たが、北電側の態度が強硬で、部落側を主とした交渉では妥結の見込がないところから、昭和三十年五月初頃、地元選出代議士である被告人松岡松平にその善処方を依頼したもの。
被告人松岡松平は昭和三十年二月前記片掛部落を含む富山県第一区から選出された衆議院議員で、同年六月七日から同三十一年十二月十三日迄の間衆議院決算委員会の委員として右委員会の所管事項に属する議題について自由に質疑し、意見を述べ且つ討論が終局したときは表決に参加する職務を有していたものであるが、被告人林の前記依頼に応じ、護岸問題を同委員会の審査又は調査を通じて解決に導かんことを図り、昭和三十年七月二十九日第二十二回国会の衆議院決算委員会に委員として出席し、同委員会の議案である昭和二十八年度一般会計歳入歳出決算中通商産業省所管分の審査に関連して護岸問題を採り上げ、これに対する政府当局の調査を要求する趣旨の発言を行つたのを始めとし、其の後同年十二月十五日、この問題が第二十三回国会衆議院決算委員会における、政府関係機関の収支(日本開発銀行の神通川電源開発融資)に関する調査案件として採択されるに及び同委員会において、政府当局の調査を要求すると共に、委員会の調査に出席した参考人及び証人に対し、種々質問を重ねつゝ此の問題を片掛部落に有利に展開させ、遂に昭和三十一年五月二十五日証人として出席した北電社長山田昌作をして、片掛部落に対し産業開発協力費を交付すると共に、運動経費の補償を行うことを諒承する旨の証言をなさしめる等決算委員としての職務を通じて護岸問題の解決に尽力したものであるところ、
第一、被告人林は昭和三十一年十一月二十日東京都港区赤坂榎坂町五番地赤坂ビル内被告人松岡の事務所において被告人松岡に対し同人の前記職務上の尽力に対する謝礼の趣旨の下に現金四百九十二万三千五百円を供与して贈賄し
第二、被告人松岡は前記日時場所において、被告人林から前記の趣旨を以て供与されるものであることの情を知りながら前記金員を受取り、以て其の職務に関し賄賂を収受し
たものである。(罪名及び罰条、第一事実贈賄刑法第百九十八条、第二事実収賄刑法第百九十七条第一項)(原判示第一、(一)、(二)の事実)
二、昭和三十二年六月十五日附起訴状にかゝる被告人林唯義同佐藤利次に対する各業務上横領の公訴事実第二。
被告人林唯義は片掛部落沿岸保全期成同盟会長、被告人佐藤利次は同副会長として、共に同部落のため北陸電力株式会社に対し同社神通川第一発電所ダム湛水に因る片掛部落ダム沿岸土地の被害につき、護岸補償等の要求に関する交渉並びに之に伴う金銭の保管収支等の業務に従事中被告人両名は共謀の上、昭和三十一年十一月二十九日頃住居地において右業務上保管の部落共有金から被告人両名共それぞれ金五十万円をほしいまゝに着服横領したものである(罪名及び罰条、業務上横領刑法第二百五十三条)(原判示第二(二)の事実)
というにあるけれども、上記説示の理由により右各公訴事実はいずれも犯罪の証明が十分でないから刑事訴訟法第四百四条第三百三十六条後段に則り被告人松岡松平同林唯義の両名に対しては無罪、昭和三十二年六月十五日附起訴状公訴事実第二の業務上横領の点(原判示第二の(二))につき被告人佐藤利次に対しては無罪の言渡をなすべきものとする。
よつて主文のとおり判決する。
昭和三十五年十一月四日
名古屋高等裁判所金沢支部第二部
裁判長裁判官 山 田 義 盛
裁判官 辻 三 雄
裁判官 内 藤 丈 夫
第一審
判決
松岡松平
林唯義
佐藤利次
被告人松岡松平、同林唯義に対する贈収賄、被告人林唯義、同佐藤利次に対する業務上横領各被告事件につき、当裁判所は検察官本多久男出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。
主文
被告人松岡松平を懲役一年六月に
被告人林唯義を懲役一年に
被告人佐藤利次を懲役十月に
各処する。
但し、被告人佐藤利次に対しては、本裁判確定の日から三年間、右刑の執行を猶予する。
被告人松岡松平より金四、九二三、五〇〇円追徴する。
訴訟費用中、証人斉藤大六、同平野幸雄、同水戸慶治、同村田恒治、同長谷川卓児、同佐藤玄、同橋詰恒三、同山崎沖之助、同高橋孝、同長井ヒデ、同横井春見、同松岡七次、同金谷一雄、同島繁(贈収賄事件)、同阿折俊正、同島とし枝、同佐藤政勝(贈収賄事件)、同黒田久太、同西野義治、同池田吉太郎、同城田幸里、同安部茂、同元吉甚一に支給した分は被告人松岡松平、同林唯義の負担とし、証人坂口仙太郎、同島繁(業務上横領事件)、同早瀬兼三、同中川元次郎、同絹川健治、同竹中太市、同佐藤政勝(業務上横領事件)、同平口久吉、同桃井千代、同坂口ふさ、同早瀬きゆ、同水上清太郎、同島清義、同近藤航一郎、同斉藤純一に支給した分は、被告人林唯義、同佐藤利次の負担とする。
本件公訴事実中、被告人林唯義に対する昭和三二年六月一五日附起訴状中第二の二に記載された業務上横領の点につき被告人林唯義は無罪。
理由
(被告人等の経歴及び職務権限)
被告人松岡松平は、昭和三〇年二月施行の衆議院議院総選挙に富山県第一区から立候補して当選し、同年三月召集の第二二国会、同年一一月召集の第二三国会、及び同年一二月召集の第二三四国会において、決算委員に選出されていたもので、衆議院決算委員会の委員として、憲法、国会法及び衆議院規則に基き、右委員会の所管事項に属する審査案件に当つては、質疑、意見の陳述、表決をなし、その所管に属する調査案件に当つては、質疑、意見の陳述をなす職務権限を有していたもの、
被告人林唯義は、富山県婦負郡細入村片掛部落に居住している者で昭和二八年一〇月下旬に右部落内北陸電力株式会社(以下北電と略称)神通川第一発電所ダム湛水に因り発生した右部落内ダム沿岸地の一部崩壊について、同年一一月初旬頃から、同部落の佐藤利次等と共に北電に対し、右ダム沿岸地帯の護岸工事の施行並びに右に関連する諸問題解決の衝にあたり、昭和三〇年七月上旬右部落民により片掛部落沿岸保全期成同盟会(以下同盟会と略称)が結成されるや、その会長となり護岸問題に関し、北電との交渉並びにこれに伴う金銭の保管収支等の業務に従事していたもの、
被告人佐藤利次は、富山県婦負郡細入村片掛部落に居住し、同部落の総代を勤め、同部落諸経費の収支並びに部落共有金保管等の業務に、又同部落に前記同盟会が出来るや、副会長となり、前記林会長と共に、護岸問題に関し、北電との交渉並びにこれに伴う金銭の保管収支等の業務に従事していたもの
である。
(罪となる事実)
第一、被告人林は前記佐藤利次等と共に、昭和二八年一一月初旬頃から前記湛水による崩壊地点の護岸工事について、北電との間に護岸工事の施行等に関して交渉して来たが、北電側は、崩壊土地を損害補償の意味で買収するとの考を表明して、交渉は何んら進展しないので、同人等は県会議員の金厚伴二、同大場義郎等を介して、北電や、県庁方面に交渉していたが、依然交渉は進展せず、遂に地元選出代議士の政治力を借りて、問題を解決しようと考え、最初は地元選出代議士の佐伯宗義に頼んだが、同人の被告人松岡が適任であるとの勧告により、昭和三〇年五月頃から、被告人林等は、前記大場義郎を介し、被告人松岡に護岸交渉の尽力を依頼し、同年六月中旬、富山市内の旅館八正園において、被告人松岡と面接し、護岸問題の解決尽力方を依頼したところ、同人はこれを了承し、同人の富山における後援会の幹部である金谷一雄を右護岸問題解決交渉のために部落の補助者として推せんした。そこで、被告人林等は金谷から運動の方法についての指示勧告に基き、先ず、昭和三〇年七月片掛部落に前記同盟会を作り、被告人林を会長に、佐藤利次を副会長に選び更に強力な運動を開始したが、右金谷は本件護岸問題を国会において、特に衆議院決算委員会(以下委員会と略称)において問題にすることにより、北電と片掛部落間の問題を解決しようと図り、昭和三〇年七月中旬頃から衆議院決算委員会調査室にしばしば調査方の陳情をなしていたが、被告人松岡は被告人林、金谷等の本件護岸問題の解決方法に対し異を唱えることはなかつた。被告人松岡は、本件護岸問題が自己の選挙区内の出来ごとである上、万が一にも大崩壊が発生した場合のことを考えれば、これは早急に護岸措置を講ずる必要があるものと考え、同年七月二九日(第二二国会)の委員会に委員として出席し、同委員会の所管事項である昭和二八年度一般会計歳入歳出決算中、通商産業省所管分の審査(以下審査案件と略称)に関連して、政府委員に対する質疑において、本件護岸問題に言及し、日本開発銀行の融資を受けて建設された神通川第一発電所ダム湛水のため、片掛部落の耕地が甚だしく侵害を受けているに拘らず、北電はこれに対し、誠意ある態度を示さず放擲しているとの趣旨の発言をなし、政府関係機関の調査を要求し同年一二月九日(第二三国会)の委員会においても前記審査案件の審議において同旨の発言をなし、その後同年一二月一五日(二三国会)の委員会において、「昭和二八年度決算中、通商産業省所管及び日本開発銀行の電気事業に関する融資」に関連して、当日本件護岸問題について調査のため、参考人として出席した被告人林及び片掛部落から崩壊地帯の地質調査を委嘱されていた斎藤大六に対し、本件護岸問題の経過、現況、並びに崩壊地点の状態について質問し、更に昭和三〇年一二月二〇日(第二四国会)本件護岸問題が政府関係機関の収支(日本開発銀行の神通川電源開発融資)に関する独立の調査案件(以下調査案件と略称)となり、翌昭和三一年三月五日(第二四国会)の委員会において、右調査案件について、参考人として出席した北電社長山田昌作に対し、「何故に護岸工事をしなかつたか、又私は個人的斡旋は出来ない、委員会等を通じて解決したらどうかと勧告したにも拘らず、何んら誠意ある態度をとらない、直ちに解決する意思があるのか」等の発言をなし、同年五月二五日(第二四国会)の委員会において、右調査案件について、証人として出席した前記山田昌作、北電鵜飼建設部長及び被告人林に対し、各質問し、この際山田昌作は、被告人松岡の質問に答えて、(1)崩壊土地の買収について適正価額をもつて相談する。(2)部落の産業開発に協力する。(3)部落側の支出した斗争費については、ある程度の協力はする。との三点について努力する旨の本件護岸問題解決案についての大綱を証言した。この間(昭和三〇年九月下旬から昭和三一年五月下旬頃まで)被告人林、佐藤利次等は、金谷一雄の助力を受けつつ、約九回に亘り上京し、委員会の各委員、通商産業省等に陳情を続けて来たが、右五月二五日の委員会終了後は、前記山田昌作の証言内容を本件護岸問題解決の基本線として、北電と部落との交渉は、上林決算委員長の仲介等もあり進展し、同年九月七日、被告人松岡の渡米等により交渉は一時中断したが、帰朝後、更に協力費、斗争費の額等についての交渉が続けられた結果、同年一一月二〇日、東京都港区赤坂榎坂町五番地赤坂ビル同被告人松岡の事務所において、北電側から前記社長山田昌作、副社長山本善次及び四方山課長、片掛部落から代表として被告人林、佐藤利次立会人として被告人松岡並びに田中彰治(当時衆議院決算委員)等が出席し、崩壊土地の買収、部落斗争費の実費相当額(五、〇〇〇、〇〇〇円)、部落の産業開発協力費(一五、〇〇〇、〇〇〇円)支払等につき定めた協定書並びに覚書が北電側から部落代表に手交され、その際右五、〇〇〇、〇〇〇円、一五、〇〇〇、〇〇〇円の二口についてはそれぞれ北電東京支店長振出、北陸銀行東京支店宛の銀行渡小切手により支払われ、本件護岸問題は、被告人松岡の衆議院決算委員としての職務行為及び地元選出代議士としての尽力を通して解決したものであるが、
(一) 被告人林は、佐藤利次と本件護岸問題が解決に近ずいた昭和三一年一〇月頃から、被告人松岡をはじめ本件護岸問題解決に尽力した人達に対する謝礼について相談していたが、昭和三一年一一月二〇日午前一〇時頃、前記協定調印の際一五、〇〇〇、〇〇〇円と五、〇〇〇、〇〇〇円の小切手二通を受領するや、被告人松岡が、かねて前記田中彰治から自己の取引先である住友銀行に預金してくれと依頼されていたので、被告人林は同松岡と共に、東京都世田谷区にある住友銀所成城支店に赴き、一五、〇〇〇、〇〇〇円の小切手分を被告人林名義で期間一年の定期預金とし、五、〇〇〇、〇〇〇円の小切手分は五〇〇、〇〇〇円を現金で受領し、四、五〇〇、〇〇〇円に住友銀行富山支店宛、被告人林唯義名義の預金口座に振込み送金した。この際被告人林は謝礼金捻出のため、右成城支店から右一五、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金を担保として五、〇〇〇、〇〇〇円の借入れを企て、借入名義を不動産売却関係費用及び運転資金とし、現金の交付を求め、右支店は借入目的が買上げ土地代金の支払の充当であると聞き、貸出すことになつたが、右支店の都合で、利息を差引いた四、九二三、五〇〇円中四、〇〇〇、〇〇〇円は右支店発行の小切手、残額は現金で受領した。
その際、右支店に紹介者として来た前記田中彰治において、右四、〇〇〇、〇〇〇円の小切手の現金化を引受けたので、被告人林は右支店を退去するや、その足で東京都千代田区平河町にある右田中彰治の事務所に赴き、同事務所で長井ヒデから右小切手と引換えに現金四、〇〇〇、〇〇〇円を受領し、同日、前記赤坂ビル内の松岡事務所に戻り、同所において被告人松岡に対し前記護岸問題解決への同人の冒頭記載の衆議院決算委員としての職務上及び地元選出代議士としての尽力に対する一括謝礼として現金四、九二三、五〇〇円を供与して贈賄し
(二) 被告人松岡は、前記日時場所において、被告人から前記の趣旨をもつて供与されるものであることを知りながら、前記四、九二三、五〇〇円を受領し、もつてその職務に関し、賄賂を収受し
第二、(一) 被告人佐藤が、前記部落総代に就任した昭和三一年一月初旬には部落共有金は、二、八一〇、四〇五円であつたが、その後預金利子が加算され領金合計二、九四五、五七〇円に増加したが、この共有金は、昭和三〇年七月の部落総会の承認のもとに、前記同盟会の経費として流用することとなつていたことろ、被告人佐藤は、昭和三〇年九月頃から昭和三一年一〇月頃迄に預金中から二、九四〇、〇〇〇円を払出し、その収支保管を扱つていたが、昭和三一年一一月二八日頃、婦負郡細入村片掛の被告人佐藤の住居地において冒頭記載の自已の業務に関し、保管中の右部落共有金の内から運動費水増分として二七九、八六〇円、銀行利子を隠匿したもの一二九、五九五円、合計四〇九、四五五円をほしいままに着服して横領し、
(二) 被告人林、同佐藤は共謀の上、昭和三一年一一月二九日頃、婦負郡細入村片掛所在の被告人林宅において、冒頭記載の各自已の業務に関し、共同保管中の部落共有金(前記北電から部落に交付された斗争費五、〇〇〇、〇〇〇円)から被告人両名共各自金五〇〇、〇〇〇円宛(合計一、〇〇〇、〇〇〇円)をほしいままに着服して、横領し
たものである。
(証拠の標目省略)
(補足的説明)
尚判示第一の贈収賄関係の事実について、(一)被告人松岡の職務権限について、(二)本件の金員の授受関係を供与とみるか、どうかの事実認定について、補足的に説明を加えることにする。
第一、被告人松岡の職務権限について
被告人松岡及びその弁護人等は、被告人松岡が衆議院決算委員として委員会において、昭和二八年度一般会計歳入歳出決算中通商産業省所管分に関連して電源開発行政について政府委員に質問しまた日本開発銀行の電源融資に関する調査案件について、参考人証人に対して質問したのは、決算委員としての権限の行使で、公的使命の遂行としてなされたものであり、他方北電と片掛部落との間に介在して両者の粉争和解の斡旋をした行為は、被告人松岡の政治家、法曹人としての所謂個人的行為である。而して被告人松岡の委員会における職務行為と両者の間に立つてした所謂和解斡旋の個人的行為とは全く関連性がなく、且つ本件護岸問題は北電と片掛部落との間の和解契約によつて、その解決を見るに至つたものであるから、その和解契約が被告人松岡の前記個人的行為としての斡旋により成立したとしても、これを被告人松岡の決算委員としての職務行為の領域にまで延長し、右和解契約の成立と右決算委員としての職務行為との間に関連性がありと考えるのは失当であると主張する。
然し乍ら本件護岸問題は判示のような経過により昭和三〇年六月一三日頃、片掛部落から被告人松岡にその解決方を依頼し、被告人松岡はこれを受託し、その後判示のように数次に亘る委員会が開かれ、これ等の委員会において被告人松岡は決算委員として前記受託の趣旨に副う職務活動をし、その結果徐々に本件護岸問題の解決案が具体化の方向に進み、遂に同三一年五月二五日の委員会におい、決算委員としての被告人松岡の質問に答えて北電社長山田昌作からその解決案の大綱が提示されるに至つたものであることは、判示認定したとおりである。従つてこの間における被告人松岡の決算委員としての職務行為が弁護人等の主張するように同被告人において何等の私心なく、公的使命を遂行する自覚のもとになされたものであつたとしても、右山田昌作の前示護岸問題解決案の提示は正式な決算委員会の席上において、決算委員としての被告人松岡の職務上の質問に答えてなされたものであるから、右解決案の提示は決算委員としての被告人松岡の職務行為に関して為されたものと謂わなければならない。尤も本件護岸問題は右昭和三一年五月二五日の決算委員会における北電社長山田昌作の前示解決案に関する証言によつて最終的に解決したものではなく、その後被告人松岡等の数次に亘る交渉の結果、同年一一月二〇日正式に和解契約の成立を見るに至つたものであり、右昭和三一年五月二五日の決算委員会以後における被告人松岡の行為は弁護人等の主張するように、決算委員としての職務行為とは認められないが、前示昭和三一年二五日の決算委員会における北電社長山田昌作の解決案に関する証言は、それが国会における決算委員会の公的な席上においてなされたものであり、且つ同人が北電における最高責任者である地位にかんがみ、本件護岸問題に関し、最も権威ある、然かも将来これを変更することを許さない不動の基本的解決案とみてよく、本件護岸問題はこれによつて実質的に解決をみたものと認めても過言ではなく、その後の交渉はその交渉経過において難渋はあつたとしても、むしろ、基本的解決案を具体化するための細目的交渉に過ぎないものであつたことが前顕各証拠によつて明らかであるから、右細目的交渉の段階における被告人松岡の斡旋行為が弁護人等の主張するように個人的な斡旋行為であるとしても、本件護岸問題に関する和解契約の成立は被告人松岡の決算委員としての職務行為に関してなされたものとみとめなければならない。また北電側においても、片掛部落において本件護岸問題は判示委員会並びに決算委員としての被告人松岡の尽力により解決されるものと信頼し、それまでの交渉経過も外形的には委員会が一連の行為としてこれ等の交渉に当つているような形態と印象を関係者に与えていたものであることが前掲各証拠によれば認められる。即ち、当公判廷(贈収賄事件)における証人山田昌作、同山本善次の証言によれば、北電側も、被告人松岡の本件護岸問題解決までの行動は、決算委員並びに地元選出代議士としての資格で斡旋解決したものであると考えていたことが認められ、また右のことは、前掲北電山田社長から上林決算委員長宛の封書(昭和三三年裁領第六六号の証第一三号)によつても充分窺がえるところであり、一方部落側について見れば、被告人林、佐藤利次の検察官に対する前掲各供述調書、当公判廷における証人金谷一雄の証言を綜合すれば、部落側は本件護岸問題は地方有力者の尽力では到底解決出来ないため、結局政治力の大きい地元選出の国会議員の力を借りなければ目的を達せられず、その為、被告人松岡に依頼する一方、地元選出の代議士佐伯宗義、三鍋義三らにも尽力を依頼し、他方本件護岸問題を国会関係、特に衆議院決算委員会に持込むことにより問題解決を図らんとし、その為各決算委員に対して陳情をくり返していたことが認められ、また被告人林より田中彰治決算委員に対する書翰(昭和三三年裁領第六六号の証第五一号)、被告人林の佐藤利次宛、佐藤利次の佐藤利一宛各封書(昭和三三年裁領第六六号の証第一七号)並びに昭和三〇年一二月一五日付、昭和三一年六月二五日付の各決算委員会会議録中、被告人林の供述の記載によつてもこれらのことが明らかである。
第二、賄賂の供与かどうかの事実認定について
判示昭和三一年一一月三〇日東京都港区赤坂榎坂町五番地赤坂ビル内の被告人松岡の事務所において、被告人林から、同赤坂ビル内東亜産業専務取締役兼経理部長下坂順吾に現金四、九二三、五〇〇円が手渡され、同人がこれを受領した上、同ビル備付の金庫内に保管した事実は前掲の各証拠によつて明らかである。右の金員授受関係を自して検察官の主張するように賄賂の供与と認めることができるかどうかという点が本件贈収賄成否に関する基本的な事項である。
この点について、被告人林は当公判廷において北電から交付された金一五、〇〇〇、〇〇〇円の部落共有金の一部を利用してこれを株式に投資し、これによつて片掛部落のための利殖を図るため右下坂順吾に株の買付を依頼し、その買付資金として本件の金四、九二三、五〇〇円を同人に手渡したものであろうと述べ、被告人松岡は右金員の授受については全く関係がないと主張している。
当裁判所は判示各証拠を検討した結果、この金銭の授受関係を賄賂の供与と認定した次第であるが、その主な理由の大略は次のとおりである。
(一) 下坂順吾の検察官に対する各供述調書、横井春見の証人尋問調書及び同人の検察官に対する各供述調書、買付伝票(昭和三三年裁領第六六号の証第七七号)、受取小切手控帳(昭和三三年裁領第六六号の証第八〇号)等によれば、下坂順吾は昭和三二年二月一五日頃、第二回目の株買付として山二証券株式会社から志村化工二〇、〇〇〇株を代金合計二、八〇九、〇〇〇円で買受けており、この株代金に支払われた金員中に被告人林が自己の持株などを売却して得た小切手二通金額合計一、七〇〇、〇〇〇円が含まれていることが明らかであり、而して右小切手二通は被告人林の検察官に対する昭和三二年六月二五日付、同二六日付同二九日付の各供述調書並びに当公判廷における供述、佐藤利次の当公判廷における供述によれば、被告人林は右株買付直前の頃、片掛部落等において合計三、〇〇〇、〇〇〇円位を目標としてその金策にほん走し、その金策の得られなかつた分の一部として自己の持株などを売却して得たものであることが認められるのである。当裁判所は昭和三二年二月一五日頃、下坂順吾から前示のように株買付代金として現実に支払われた右小切手二通を含む右三、〇〇〇、〇〇〇円にも上る巨額の金員を、その頃被告人林において何故に急遽捻出しなければならなかつたかの理由について多くの疑問を抱かざるを得ない。被告人林は右三、〇〇〇、〇〇〇円は鉄道誘致運動の資金として必要であつたと述べているけれども、当時右鉄道誘致運動のために右のような巨額の金員を急遽必要とする情勢にあつたと認められる合理的な証拠はなく、若しその必要があつたのであれば、被告人林は当時北電から交付された一五、〇〇〇、〇〇〇円を片掛部落から鉄道誘致運動のためならば自由に使用し得る権限の委任をうけて保管していたのであるから、これを使用し得た筈であり、これ等の資金を得るために態々自己の持株を売却したり、他人から秘密裡に金策を得る必要がなかつたものと認められるから、被告人林の供述は信用することができない。却つて前記各検察官に対する各供述調書において、当時急遽右のような金策にほん走しなければならなかつた経緯について一々供述しているように、被告人松岡の何等かの形による要求によりなされたものであると認められるのである。以上のことは、一面において、前記第二回目の株買付をした昭和三二年二月当時においては、下坂順吾の手許には片掛部落のための保管現金は既に存在しなかつたのではないか、意味を換えて言えば、本件の金員は片掛部落のためにする適法な株買付を目的とした金員保管の委託関係のものではなかつたのではないかとの疑を持たせたものである。なんとなれば、若し下坂順吾が適法な金員保管の委託関係によつて判示金四、九二三、五〇〇円を保管したものであるとすれば、同人はそのうち第一回目の株購入の際既に金二、一八〇、〇〇〇円を支出しているのであるから、その当時下坂順吾の手許には計数上その差額である金二、七四三、五〇〇円が当然保管されていることになり、差当り第二回目の株買付資金に窮することがない筈であり、殊更に前記小切手二通が右株買付代金として支払われる理由がなく、また佐藤利次の証言並びに同人の証人尋問調書、佐藤政勝の検察官に対する各供述調書、水戸慶治の証人尋問調書等の証拠によつて一点の疑もなく明らかであるように、被告人林が右第二回目の株買付をする直前において、然も計数的には第二回目の株買付資金とほぼ同額に近い一連の金策を何故に緊急にして且秘密裡に行わねばならなかつたかを理解することができないからである。尤も弁護人等は当時下坂順吾の手許には尚二、七四三、五〇〇円を保管していたのである。唯当時偶々被告人林から前示小切手二通の保管を依頼されていたので、第二回目の株買付の代金として右の保管現金に代えてこれを使用したまでのものであり、保管現金は計数上何等の増減もなく存在していたものであると主張しているけれども、当時右小切手二通を含む約三、〇〇〇、〇〇〇円に上る金策関係そのものが、前述したような経緯によるものと認められるものであるから弁護人等の右主張だけでは、当時保管現金が計数上増減なく保管されていたものであることの証明とはなり得ない。仮に弁護人等の主張するように右小切手二通に代わるべき現金は依然として下坂順吾の手許に保管されていたものであるとすれば、更に次に述べる疑問を生ずる余地を残すことになる。
(二) 即ち近藤航一郎の証人尋問調書、下坂順吾の証人尋問調書、メモ(昭和三三年裁領第六六号の第五七号)によると、昭和三二年五月一〇日頃、下坂順吾から被告人林に対して買付株券、保管現金など一切を引渡すことになつたのであるが、その際下坂順吾から被告人林に対し、保管金の支出状況を明確にするメモが手渡されており、右メモには(一)預り金五、〇〇〇、〇〇〇円、(二)株式四、九八九、〇〇〇円、(三)残金一一、〇〇〇円である旨が記載されている。然し乍ら下坂順吾が被告人林から受取つた金員は判示のとおり四、九二三、五〇〇円あることが明らかであるに拘らず、預り金五、〇〇〇、〇〇〇円と記載され、この数額を計算の基礎としていることが先ず正当な金員保管の委託関係の存在を疑わしめるのみならず、残金として僅かに一一、〇〇〇円のみが現実に引継がれている事実に注目すべき点があると考えられる。即ち昭和三二年二月一五日頃の第二回目の株買付代金のうちに被告人林が別途に捻出した小切手二通金額合計一、七〇〇、〇〇〇円が含まれていたことは前記認定のとおりであり、右小切手二通は下坂順吾が述べているように、同人が当時の保管現金に代えて支払つたものであるとすれば、同日以後右引継ぎに至るまでの保管現金は右小切手に代わる現金(うち一〇〇、〇〇〇円の小切手の分については差当り別問題として)を含め、計数上尚一、五〇〇、〇〇〇円以上でなければならない筈であるから、当然右引継ぎの際のメモには以上の経過と数字が適確に記載されていなければならないし、また引継がれる現金も右の金額でなければならない筋合のものである。以上によつても被告人林の主張するような金銭保管の委託関係の存在は全く否定せざるを得ないのである。弁護人等はこの点について、右小切手二通は元来被告人林個人のものとして保管を依頼されていたのであるから、これる代る保管現金は経理上片掛部落の共有金とは別に被告人林個人のものとして取扱つてきたので、右引継ぎの際にはこの現金に限り前記メモに記載しなかつたものであると主張しているけれども、当時は北電から片掛部落に交付された共有金の使途につき、同部落内に大きく紛争が起つており、且つ右共有金保管の当面の責任者である被告人林等が横領罪の嫌疑で告発されていた時期であり、そのためにこそ前記のような部落共有金の引継がなされたのであるから、下坂順吾がこれまでの部落共有金保管者の立場にあつたものとすれば、同部落共有金に少しでも関連があると思われる現金については、経理上の名目の如何を問わず部落に返還すべきものは部落に返還し、被告人林個人に返還すべきものは同被告人に返還し、自己の責任の所在を明確にしておくのが、少くとも大会社の経理部長のような要職にあるものの当然なすべきことであり、また当然そうしたであろうと思われるのである。然るに右引継ぎの際、被告人林個人に対しても右金員を返還したものと認められる証拠は全く存在しない。弁護人等の前記主張は、殊更に本件当時の現実の事態に眼をおおい、形式論に根拠をおく事後弁解的なものであつて到底採用することのできないものである。
(三) 次に昭和三二年四月下旬頃、山二証券株式会社横井春見が、下坂順吾の依頼により金額一、五〇〇、〇〇〇円位の東洋紡九、〇〇〇株の売買をした架空の取引計算書二通を作成したことである。右事実は横井春見の証人尋問調書、実物取引計算書(昭和三三年裁領第六六号の証第二八号)により明らかであるが、当時は既に前述したとおり、片掛部落共有金の問題が刑事々件にまで発展しようとする状況下にあり、下坂順吾においても当然これ等の状況を知悉していたものと認められるから、同人がこの時期において何故に斯様な内容虚偽の取引計算書を作成して置かねばならなかつたかが、本件の事実認定について一つの重要な鍵をなすものと思われるのである。この点について下坂順吾は、被吾人林から既に(一)において述べた小切手を一時的に株の売買に利用するように依頼されていたが、これをしていなかつたので形式上依頼どおりの株の売買取引をしたことにし、同被告人からの受任事項を忠実に実行していたことを後日証明するために作成して置いたものであると述べているけれども、被告人林の立場に従えば、同被告人は下坂順吾に絶大の信頼をおいてこそ同部落共有金を保管させたことになるのであり、また下坂順吾においてもこの信頼にこたえてこれを受託した間柄であるから右のような目的のためにこのような小細工をしなくとも、言葉の交換をもつて充分その信頼を維持し得るものと考えられる次第であるから、下坂順吾の前示弁解は省みて他をいうに等しく到底採用することができない。却つて右事実関係からみて右架空の取引計算書を作成して置いた目的は、当時の片掛部落内の情勢、下坂順吾と被吾人松岡との関係、同人の地位、立場などから考えてその頃、下坂順吾の手許には尚一、五〇〇、〇〇〇円程度の金員が保管されていたものであろうとの偽装アリバイを用意して置くためのものであつたと認められないこともないと考えられるのである。
(四) 本件金員の授受が、被告人林の主張するように、単なる金員保管の委託関係に過ぎないものであるならば、その法律関係は至極単純であり、その経理関係は正確でなければならないし、また契約関係の終了は自然にしてスムーズでなければならない。然るに本件は判示各証拠によつても、以上認定した事実関係によつてもその経理関係の内容は不正確であり、契約関係終了の際の事態は復雑且不自然であると思われる点が非常に多いと謂わなければならない。従つて本件金員の授受関係を目して単なる金員保管の委託関係であると認めるには以上詳述したとおり、余りにも多くの不自然且作為的な事実が存在し過ぎると思われるのであり、況んや、本件については(イ)佐藤利次の検察官に対する各供述調書、実入用額の部と題するメモ(昭和三三年裁領第六六号の証第二一号)によつても、本件護岸問題解決前に既に被告人松岡を初め、右護岸問題解決に関係した人々に対し相当額の謝礼を供与する意図のあつたことが認められ、そのうち既に金谷一雄、斎藤大六に対してはその意図どおり、相当額の報酬金が支払われていること、(ロ)昭和三一年一一月二〇日住友銀行成城支店において五、〇〇〇、〇〇〇円を借入れる際、全額現金を要求している事実並びにこれが容れられなかつたところから、同日更に田中彰治方において即時現金化して持帰つているが、当日全額現金化を要求し且これを現実に実行しているところに一つの疑問が持たれることなどの諸点も存在するので、結局本件は、判示各証拠並びに以上認定した事実関係から綜合して、被告人林が被告人松岡に対して本件護岸問題解決の謝礼として賄賂を供与したものであるとの被告人林の前掲検察官に対する一連の自供を信用せざるを得ないのであり、このように認めることにより、以上認定した多くの疑問点を合理的に然かも一貫してこれを理解することができるものと思料されるのである。
以上の諸点により、被告人林と下坂順吾との間の本件金員の授受関係が被告人林の主張するような株買付のための金員保管の委託関係とは認められない理由の一端を説示したわけである。而してこれ等の諸点は何れも被告人林と下坂順吾との関係において生じたもので、直接被告人松岡との関係において生じたものではないから、被告人林と下坂順吾との間の右金員の授受関係が前示のように適法な金員保管の委託関係とは認められないということからだけでは、論理的、必然的に本件金員は被告人林から被告人松岡に対し判示認定のような賄賂を供与したものであると認定し得ることにはならないけれども、被告人林は右金員の授受の趣旨について従来二つの異つた供述をしているのであり、一つは本件護岸問題解決の謝礼として供与したものであるとする供述(被告人林の検察官に対する昭和三一年六月一三日付、同月二五日付、同月二六日付、同月二九日付の各供述調書等)、他は株式買入れのため右金員保管を依頼したものであるとする供述(被告人林の当公判廷における供述、同被告人の検察官に対する昭和三一年七月二四日付の供述調書等)であり、而してこれ等の供述において明らかにされている二つの趣旨のみが本件金員授受の趣旨として考えられ得るところのものであるから、この両者の供述が本件に顕われた他の一切の情況証拠に照し孰れを信用し得るか、若し一方を信用し得ないということになれば必然的に他方を信用し得ることになるという関係にあるので、特に被告人林と下坂順吾との間において生じた事項を取上げ、それが適法な株買付のための金員保管の委託関係とは認められないことを説示したわけである。従つてこの両者の間の本件金員の授受関係が右のように株買付のための金員保管の委託関係とは認められない以上、この趣旨に副う被告人林の前示供述は信用することができず、当然に右金員は本件護岸問題解決の謝礼として被告人松岡に供与したものであるとする前示供述の方を信用し得ることになりまた本件について掲げた判示各証拠は充分右供述の真実性を補強しているものと考えるのである。而して被告人林の前者の供述即ち謝礼として供与したものであるとする供述においては勿論、後者の供述即ち株買付のための金員保管を依頼したものであるとする供述においてさえも、被告人松岡は被告人林と下坂順吾との間の本件金員の授受関係について充分その情を知つていたことが認められるわけであるから、本件金員が具体的には被告人林から被告人松岡の手を通じて下坂順吾に手渡されたものか或いは直接下坂順吾に手渡されたものか、その点は供述自体からは必ずしも明確ではないが、兎角下坂順吾がこの金員を受取りこれを保管していたことについてまことに明らかな本件においては、右金員は被告人林から被告人松岡に対し本件護岸問題解決の謝礼として供与したものであるとする判示認定を左右することにならない。
(法令の適用)
被告人松岡の判示第一の(二)の収賄の点は、刑法第一九七条第一項前段に該当するところ、所定刑期範囲内で同人を懲役一年六月に処し、なお同人の収受した判示金四、九二三、五〇〇円は賄賂であるが、これを没収することができないから、昭和三三年四月三〇日法律第一〇七号による改正前の刑法第一九七条の四に従い、同人から主文掲記のようにその価額を追徴することとし
被告人林の判示第一の(一)の贈賄の点は、前記昭和三三年法律第一〇七号による改正前の刑法第一九八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、第二の(二)の業務上横領の点は、刑法第二五三条、第六〇条に該当するところ、贈賄罪につき懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文並に但書、第一〇条に従い、重い業務上横領の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人林を懲役一年に処し
被告人佐藤の判示第二の(一)の所為は、刑法第二五三条に、判示第二の(二)の所為は同法第二五三条、第六〇条に該当するところ、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条に従い、犯情の重い第二の(一)の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人佐藤を懲役一〇月に処するが、情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項に従い、同人に対し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用し、主文掲記の如く各被告人に負担せしめる。
(本件公訴事実中無罪の部分の判示)
尚被告人林に対する本件公訴事実中、「被告人林唯義は昭和三十一年十二月頃、肩書住居において、右業務上保管中の現金二一万五千八百二十五円をほしいままに着服横領した」(昭和三二年六月一五日付起訴状)との事実について審究すれば、被告人林、同佐藤の当公判廷の各供述、被告人佐藤の検察官に対する昭和三二年六月八日付、被告人林の検察官に対する同年同月十四日付(三通)各供述調書、林成一の当公判廷における証言を各総合すれば、昭和三一年一二月二八日頃、被告人林宅において、被告人林、同佐藤及び林成一の三名で、本件護岸運動に使用した運動費の清算をなした際に、被告人等は相談の上、北電から部落に斗争費として交付された五、〇〇、〇〇〇円の中かゆ二〇〇、〇〇〇円を昭和三二年頭初の鉄道誘致運動費用として別除し、被告人林において、これを保管した事実が認められる。もつとも右金員の使途について、「これを私の個人の金と一緒にして家の費用等に費つた」旨の、被告人林の検察官に対する供述記載部分があるが、右供述記載によつては、被告人林、同佐藤の当公判廷における各供述、証人林ひろの証言等に徴して、当裁判所は、被告人林において、右運動費を自己のために費消したとの心証を得ることは出来ず、他の右金員について、個人の金として当時費消したと認めるに足る証拠はなく、結局前記公訴事実は、証明不十分と言わなければならないから、刑事訴訟法第三三六条により主文において無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
昭和三四年八月二五日
富山地方裁判所刑事部
裁判長裁判官 野村忠治
裁判官 斉藤寿
裁判官 山中紀行